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act.7昏迷ノスタルジア<79>
「穂高のことは大好きだよ」
そう言って、馨はしゃがみこみ、穂高と視線を合わせてくる。いつからか嵌めるようになった翡翠色のカラーコンタクト。人工物に覆われた瞳には感情が宿っていないように思える。葵ではなく、馨こそ人形のようだと穂高はいつも感じていた。
「でもね、もし可愛くないことしたら、嫌いになっちゃうからね」
馨が何を言いたいのか、心当たりはある。
葵のカウンセリングを受け持つ宮岡と通じていることがバレたのだろう。葵の行方が掴めなかったあの時間、さすがに耐えきれず、宮岡との連絡が増えたことが原因かもしれない。
いや、そもそも宮岡とは同級生だ。当時はほとんど関わりがない間柄だったが、宮岡が直接葵と接点を持ってしまった以上、いずれ馨にこの関係が把握されることは想定済みではあった。
今回穂高を飛ばして動いたのは、馨なりの警告の形だったらしい。
「たまたま、葵が庭先に出ていたみたいでね。直接制服を渡せたらしい」
馨がまた、話題を戻した。受け取り手の情報が正確に入っているということは、普通の業者を経由した配達ではなかったようだ。葵が外にいたことは偶然だったのだろうが、葵の目に触れやすいよう、家にいる人数が少なくなったタイミングで届けさせるぐらいの指示は元々していたはずだ。
「だから、きっと手紙も読んでいるはずだよ。パパのことが頭から離れなくなってるだろうね」
今回はその手紙に馨が何を記したのか、穂高には知る由もない。葵を戸惑わせ、傷つける内容だとしたら。そんな不安が一気に込み上げてくる。
「何を心配することがあるの?葵が帰ってきたら、穂高もまた一緒に暮らせるんだよ?ずっと望んでいたことでしょう?」
「いえ、私は……」
一度置き去りにした自分が、葵との未来を思い描くなんておこがましいにも程がある。葵にはずっと西名家で幸せに暮らしてほしい。穂高のことも、馨のことも、何もかも忘れて。
でもこの願望を口にすれば、馨がどんな反応をするかは目に見えている。唇を噛んで堪えると、馨はそんな穂高の様子さえ愉快そうに笑ってみせた。
「おいで、穂高」
馨は少し癖のある穂高の髪を撫でると、立ち上がってソファへと先導した。床に落ちた金を躊躇いなくぐちゃぐちゃに踏み潰していく。その歩みにすら狂気が滲んでいた。
雇い主と並んで座るなど、本来ならば許されない行為。しかしそれが命令とあれば逆らいようもない。穂高が黙って馨の横に腰を下ろすと、彼は満足げに頷いた。
「私は葵を愛しているよ。それは分かっているね?」
「はい、もちろんです」
その思考が歪んではいるが、彼なりに葵を求め、愛情を注ごうとしていること自体は否定しない。
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