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act.7昏迷ノスタルジア<83>

* * * * * * 冬耶に連れられて葵が部屋を出るなり、ベッドの上の黒い塊がむくりと起き上がった。こちらを見つめてくる視線にはやはり感情が見えない。 葵にした提案も、都古を勝手に巻き込んだことも、全て計画通りだったわけではない。京介自身、成り行きに身を任せた結果だ。だからいざ都古を前にすると、何をどう話したらいいかが悩ましい。 「……なにそれ」 結局、率直に葵との会話の流れを伝えれば、都古からは冷たい一言が返ってきた。一ノ瀬から付けられたキスマークを薄くする手伝いを二人掛かりでしてやる。確かに突拍子もない誘いだ。 それに、独占欲の強い都古が、京介と共になんて嫌がるに決まっている。もちろん、京介だって前向きなわけではない。 二人きりのときなら葵に甘い言葉も比較的掛けてあげやすくなるが、他人の、それも都古の目があると話は別だ。 つい照れ隠しで距離を置いてしまうし、口調も強くなりがち。人目があると京介がそっけなくなることは葵も理解していて、それほど気にしないでいてくれるのが救いだ。でも、葵に気を遣わせたいわけではない。特に今夜は。 「しゃあねぇだろ、葵がお前も居て欲しがったんだから。別に何もしなくていいよ。そこに居るだけでいい」 「は?見学、しろって?」 「嫌なんだろ?指くわえて見てろよ」 棘のある声を出した都古に、自分も過剰に言い返してしまう。揉めている場合ではない。頭では分かっているが、自分が風呂から上がって戻った時にこれみよがしに葵を抱き締めていた都古に対する嫉妬がまだ冷めきっていないのだ。 京介が彼にしたことの仕返しをされたわけで、発端は自分が作ったとはいえ、やはり気持ちの良いものではない。 「つーか、お前、あれから見てんの?葵の体」 「……見てない。そっちは?」 「同じ。あいつ、風呂にも兄貴しか付き添わせねぇしな」 その冬耶ですら、共に浴室に入ることは許されていないらしい。あくまで片足が不自由な葵の補助しかさせてもらえないと聞いている。 朝、パジャマから部屋着に着替える時も、葵は肌を晒さないよう布団の中で不自由そうにしながら行っていた。避ける対象が自分だけだったらという不安があったが、都古も同じだと聞いて京介は人知れず安堵する。 「全部、消毒したい」 葵の体に浮かぶ痕跡を想像したのか、どこか遠い目をした都古がぽつりと呟いた。 いつだか幸樹が言っていた言葉が頭をよぎる。ただの嫉妬や独占欲ではなく、自分が受けた痛みを葵には味わわせたくない。その思いで、あれほど葵の周囲に対して警戒心が強いのではないか。幸樹は都古の日頃の振る舞いをそう理由づけていた。 都古にとって葵は神聖な存在で、触れるものは皆葵を穢す悪に見えるのかもしれない。

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