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act.7昏迷ノスタルジア<106>
“ちょっと、いい加減にしなよ”
体育の授業中、見学してばかりでずるいと詰られ、無理やりコートに立たされた葵をそう言って庇ってくれたのが七瀬だった。ただぶつけられるしかなかったボールを、葵と同じぐらい小さな体でいとも簡単に打ち返して仁王立ちする彼の姿は今でも目に焼き付いている。
無言ではあったけれど、綾瀬もまた、座り込む葵の手を引いて立ち上がらせてくれた。
その日の放課後遥に付き添ってもらって彼らにお礼を伝えてから、少しずつ交流が始まった。
“羽田くんだとどっちか分からないから。七でいいよ”
にっこりと無邪気な笑顔を見せてそう言ってくれた日のこともよく覚えている。葵のことも苗字ではなく“葵ちゃん”と呼んでくれた、それすらも葵にとっては嬉しい出来事だった。
教室で七瀬や綾瀬と話した日は、すぐに冬耶や遥に報告しに行った。自分に友達が出来るなんて信じられない出来事で、彼らとの会話全てが葵にとって嬉しくてたまらないものだったのだ。
「七瀬ちゃんがどうして学校を休んだか。それは当然気になるよね」
「うん、風邪引いちゃったのかなとか、何か学校で辛いことあったのかな、とか」
例え話であることは分かっているものの、あれほど元気な七瀬が数日学校を休むなんて想像だけでも心配になってしまう。
「じゃあ欠席の理由を七瀬ちゃんが説明せずに登校してきたら、あーちゃんはどう?迷惑かけたんだから説明しろなんて思う?」
「……思わない」
冬耶が例を出した時点で、この終着地点は分かっていた。
七瀬が戻ってきてくれただけで嬉しい。七瀬が話してくれるまで、いや、もしずっと話してくれることがなかったとしても、友情に変わりはないと言い切れる。
でもそれは葵が七瀬のことを大好きだから。皆が同じように葵のことを思ってくれているのか、自信がない。呆れられ、見捨てられてしまうことが怖いのだ。
「皆と築いてきたものをもっと信じていい。甘えていいんだよ」
きっと自分は相当不安げな顔をしているのだろう。こつんと額を合わせてきた冬耶がそう言い聞かせてくれる。
「大丈夫、保証するよ。お兄ちゃんが嫉妬しちゃうぐらい皆と仲良しになったんだから」
「……嫉妬、しちゃうの?」
「あぁ、そこ引っ掛かっちゃった?」
思った反応ではなかったのか、冬耶はおかしそうにクスクス笑ってしまうが、葵にとっては真面目な疑問だった。
「卒業して、あーちゃんがどんな毎日過ごしてるか分からなくなっちゃったからね。一緒に過ごせる皆が羨ましいなって思うよ」
卒業式の日、やっぱり留年しようかなんて言い出して周囲を驚かせた冬耶の様子を思い出す。卒業生が並んで退場する際にも、彼は列から外れて葵を抱き締めにやってきた。即座に遥に連れ戻されてはいたが、冬耶が本当に寂しがってくれたことは喪失感に襲われていた葵の心を癒してくれた。
「僕も、お兄ちゃんの大学のお友達が羨ましいなって思ってたんだ」
この気持ちは、大好きな兄への子供っぽい独占欲かもしれない。そう感じて押さえ込もうとしていたが、今なら素直に打ち明けられそうだ。
「そうなの?それは嬉しいな。両思いだね」
目を細めて笑いながら、冬耶は葵の肩を抱く力を強めてくれる。さっきチクリとささくれ立ったはずの心は、いつのまにか元に戻っていた。
「明日、楽しみ」
大好きな人たちの来訪も素直に喜べる。葵が言葉にして伝えれば、冬耶はますます嬉しそうに笑顔を向けてくれた。
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