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act.7昏迷ノスタルジア<114>
「誰が誰に惚れてるって?」
「せやから、若葉が、藤沢ちゃんに?」
「それ本気で言ってんの?」
若葉が恋愛とは無縁の男であることぐらい、幸樹は理解しているはずだ。それなのになんとも馬鹿らしいことを言うものだ。
「そうかぁ、だから藤沢ちゃんが登校すんの待ってんのか。一目でも会いたいってなぁ」
「あんまりふざけたこと言うと怒るヨ」
睨みつけてもまだ幸樹はニヤニヤとした嫌な笑いを浮かべて若葉を煽り続けてきた。
「若葉の初恋やってみんなに言うたろ。大騒ぎになるんちゃう?」
人々の話題の中心になるのは嫌いではない。ただそれは若葉の暴力性を見聞きした人間が恐れ慄く姿を見るのが快感なだけ。こんな馬鹿げた話題が出回ることは不愉快だ。生温い奴だと印象付けられるのも嫌で仕方ない。
とはいえ、今若葉が何を言って否定したとて彼はより面白がってからかってくるに違いない。
「ライバル、やな。今後ともよろしく」
黙る若葉に満足したのか、幸樹はそう言い捨てて去ってしまった。来た時と同じようにひらひらと手を振る姿が憎らしい。だが、彼と無駄な喧嘩を繰り広げるのは得策ではない。
苛立ちを押さえながら駐車場へと向かえば、そこにもまた若葉にとっては憎らしい顔が主人の帰りを待ち侘びていた。
「葵さんに会えました?」
若葉のためにすぐに後部座席の扉を開けてみせるが、一言余計である。若葉が手ぶらな時点で獲物が捕獲できなかったことは明らかだというのに。
「今その名前出すな」
「……おや、どうかなさいました?」
とぼけた返事が更に若葉の眉をひそめさせる。若葉の機嫌が悪いことは、彼なら一目見て判別できたはすだ。分かっていてあえて突っ込んでくる奴の根性の曲がり具合は相当なもの。
「これ、未里チャン分ね」
徹の問いかけを無視して彼に封筒を押し付ける。中身はもちろん口止め料という名の金。
「随分気前がいいものですね。あんなデータに」
その重さで大体の金額を察したのだろう。若葉がシートに体を預けたのを見届けてから運転席にまわった徹は少し呆れたように肩をすくめてみせた。
徹の言う通り、一ノ瀬をけしかけたのが自分だと自白する音声を若葉に握られたとはいえ、それだけでこうも簡単に折れるとは思わなかった。
若葉相手に対等に振る舞おうとする未里の気丈さはそれなりに買っていた。だからもう少し抵抗を見せると思ったのだが、きっと想像以上に事態が大事になって収拾の付け方が分からなかったのだろう。
もうとっくに好かれてなどいないはずの奈央に執着し、彼に己の悪事がバレたくないと願う未里の心理などやはり若葉には理解出来そうもないし、する気もない。
「奈央サマはどんな顔するだろうネ」
葵を捜索していた連中の中に当然のように奈央の姿もあった。そんな彼が、あの事件の発端は自分に歪んだ愛情を注ぐ未里だったと知ったらどうするだろうか。その上で、未里を抱かざるを得ない状況に追い込んだら。
思わず漏らした呟きに、徹がバックミラー越しにちらりと視線を投げてくるが、この話を彼と広げるつもりはない。
若葉はただ車の揺れに身を任せながら、新たに思いついた遊びに思いを巡らせた。
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