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act.7昏迷ノスタルジア<117>

「……どうしようかな」 宮岡からの情報では、葵がこれを受け取ってからすでに数日経っているらしい。さすがに葵もいつまでも隠し通せるとは思っていないだろう。振り返れば葵のほうから何かを切り出そうとする素振りは何度かあった。 知ってしまった以上見て見ぬ振りはできないが、とはいえ馨のことを何と説明してやったらいいかが悩ましいところだ。ひとまず、冬耶は元の形に包みを戻していく。 便箋を閉じる時、花のような甘い香りがふわりと漂った。馨のオフィスでした匂いと同じものだ。 “冬耶くん、か。ステキな名前だね” 不意に初めて馨と出会ったときの記憶が蘇る。そう、あの時も彼はこの香りを纏っていた。 隣で暮らす割に馨との接触が多くはなかった冬耶でさえこれだ。馨と共に暮らしていた葵ならば、この香りだけでも父親を連想しただろう。そして、今の冬耶のように、香りに紐づいた思い出が溢れ出てきてしまったかもしれない。 「お兄ちゃんのピザ、今焼いてるよ」 一階に戻れば、葵は笑顔で冬耶を出迎えてくれる。でもそれが今は苦しかった。 「お、楽しみだな。あーちゃんのはもう焼けたの?」 「うん、見て。美味しそうでしょ」 得意げに見せてくれた皿には、彩りよくトッピングされた焼きたてのピザが乗せられていた。隣の都古のピザは猫の顔の形をしていて可愛らしい。きっと葵が作ってやったのだろう。 「熱いうちに食べな」 冬耶の分が焼きあがるまで待とうとしてくれる葵にそう促せば、素直に皿に手をつけ始めた。都古と顔を見合わせてピザを頬張り、感想を口にする様子は冬耶の心を穏やかにさせてくれる。朝食の時にも感じたが、葵の食欲は少しずつ回復してくれているようだ。 馨の話をしたら、葵はどんな反応を見せるのだろう。せっかくバランスを取り戻し始めた心と体が、また不安定になる気がする。だからこそ、葵に何も悟らせず問題を解決したかったのだが、それはもう叶わぬ夢だ。 葵にとって馨は畏怖の対象ではあったが、同時にどんな形であれ愛情を注いでくれた相手とも認識しているはず。だからこそ馨に置いて行かれて深く傷付いたのだ。 馨が隣家から消えた日。葵は少しの着替えの入ったリュックを背負い、両手に沢山の宝物を抱えていた。 母親から唯一与えられた絵本。冬耶たちと共に描いた青空のイラスト。元気が出る薬と呼んでいた金平糖が詰まった瓶。馨と共に出かけるため、幼い葵なりに懸命に準備した旅支度だったのだと思う。 そんな健気な葵を、馨は気まぐれに突き放して置き去りにしたのだ。呆然と泣く葵にカメラを向けて笑う馨の姿は、思い出すだけで震えるほどの怒りが湧いてくる。 きっとまたああして傷付けられる。だから馨の手を取るべきでない。もし冬耶があの時の感情に任せ、そんな風に言い聞かせれば、それこそ葵を追い込んでしまうに違いない。 どうするべきか。 冬耶はこの戸惑いが葵に伝わらぬよう、朗らかな空気の流れるリビングにふさわしい笑顔を浮かべ続けたのだった。

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