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act.7昏迷ノスタルジア<119>
「俺はぶっちゃけ反対だけど、ああなった兄貴は止めらんねぇから。諦めた」
葵の身に起きたことを、葵本人の許可なく周囲に話す。冬耶の言う必要性も理解はできるが、それでも京介は安易に賛成できなかった。もし何かのきっかけで葵がそれを知ったらきっと混乱するだろう。
それに、自分の中で渦巻く独占欲の存在にも気が付いていた。葵を守ることに誰かの手など借りたくない。葵の抱える秘密を知る人間がこれ以上増えなくて構わない。そんな自分勝手な感情。おそらく冬耶には見透かされている。
「七たちはなんとなく何があったか察してるけどさ。でもこうしてきちんと教えてもらう機会をもらえたのは嬉しいよ」
葵と共に試験を受ける七瀬は直接冬耶の話を聞くことは出来ない。だがあとで綾瀬から伝え聞くつもりのようだ。
「また葵ちゃんのこと泣かせたくないから」
七瀬が珍しく陰りのある表情を浮かべたから、京介も彼が今頭に思い描いているであろう出来事を思い出す。
中等部二年の秋に行われた文化祭。
その頃の京介はほとんど学校にも家にも顔を出さずに、遊びに興じていた。葵に対して募るばかりの想いのやり場が分からなくて、葵と向き合うことから逃げていたのだ。
必然的に葵の相手をしていたのは冬耶や遥、そして彼ら二人の存在だった。
京介が後から聞いたところによると、七瀬は高等部のクラスが開いていたお化け屋敷に、怖がる葵を強引に連れて行ったらしい。それだけなら恐らく泣きだす程度で済んだだろう。
でも問題は、お化け屋敷内に天井から吊り下げられた女性の人形があったこと。雑な作りのものだったらしいが、葵に母の最期を連想させるには十分だ。
だから共に居た七瀬たちはパニックになった葵が過呼吸を起こし、自分の腕を噛みだす姿を目撃している。すぐに冬耶と遥を呼んで落ち着かせはしたようだが、葵は数日寝込むほどショックを受けてしまった。
若葉との遊びから手を引き、葵の元に戻るきっかけの一つにはなったのだから、京介にとっては単純に悪いだけの出来事ではなかったのだけれど。
「怖いものが苦手って分かってたけど、おばけにちょっと驚くぐらいだと思ったの。本当に反省してる」
知らなかったのだから仕方ない。未だにあの時のことを気にしている様子の七瀬にそう声を掛けてやろうとして、京介は兄の思いに触れる。
“仕方ない”と済まさなくてはならない出来事を、冬耶は徹底的に排除したいのだろう。それが葵にとっても良いことであるはず。間違いだとは思わない。自分がただ青臭い子供なだけだ。
「藤沢に何があったのか、知るのが怖い気持ちもある。七が言ったみたいに、不用意に傷つける可能性が減るのは安心するけどな」
いつもと変わらず静かなトーンで綾瀬が心の内を晒してくる。冷静で感情の起伏が薄い彼がこんなことを言うのは珍しい。
「お前も怖いとか思うのな」
「俺にとっては大事な友人だから。藤沢が酷い目に遭っていた話なんて、多分聞くのも辛いだろうなって」
葵が西名家で育っていることから、ロクな家庭環境でなかったことは察しているようだ。興味本位で葵の抱える闇を覗こうとしているわけではない綾瀬の本音は、京介にとっては至極真っ当なものに思えた。
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