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act.7昏迷ノスタルジア<124>

「何これ、クッキー?作ったの?お前が?」 葵は当然のように、帰宅した京介にも包みを渡していた。甘いものはあまり好きではないと公言している彼だから、だるそうに受け取る素振りなんてしているが、その口元が嬉しさを隠し切れないでいる。 誰の目から見ても彼は分かりやすい奴だと思う。葵のことが好きで仕方ないのはあからさまなのに、肝心の葵はそれに気付かず、京介の口に合うかどうか真剣に心配しているのだ。 「あ、見ないでってば」 「なんでだよ、お前が寄越したんだろーが」 「だから目の前ではやなの」 「知らねぇ、先言え」 すぐにカードに目を通し出した京介と、それに照れる葵のじゃれあいを眺めながら、都古はこんなやりとりにも懐かしさを感じてしまう自分が居ることに気が付いた。 少し前まで彼らが親しさゆえの小競り合いをしたり、そこに都古が割って入ったりすることはごく当たり前の日常だった。でもここ数日は全く見られることがなかった。 葵が無邪気に振る舞えているのは、少しずつ心が回復している証。おそらく明日、生徒会を始めとする面々が集まれば、葵はもっと元気になるはず。 でもその後の冬耶との会話ではどうなるのかが読めない。また落ち込んでしまうかもしれない。葵が感じる辛さを全部代わりに受け止めてやれたらいいのに。 「みゃーちゃん、京ちゃんがひどい」 京介との言い合いに負けたらしい葵がむくれた顔をして都古に抱きついてくる。だから守るように腕の中に閉じ込めた。 「じゃ俺と、寝る?」 「おい馬鹿猫、なに誘ってんだよ」 今夜葵と眠る権利をどさくさに紛れて得ようとすれば、すぐに京介から抗議が入った。日中登校している彼にしてみれば、夜しか葵と触れ合う時間がないのだから当然だろう。 本来なら都古がこうして西名家に入り浸っていることも、京介は面白くないに違いない。今は葵が特殊な状況に置かれているから許されているだけで、普段ならとっくに追い出そうとしているはず。 「寝るのは真ん中がいい」 都古と京介の気も知らず、葵の願いは変わらずそれで。昨夜の情事を今朝方思い出してあれほど照れていたのに、また同じことをされるなんて思わないのだろうか。軽く口に出来る無垢さは可愛いが、同時に歯痒さも感じる。 「真ん中、好き?」 少し意識させるよう腕を葵の腰に回し、耳元で囁いてみる。昨日のことを思い出してほしい。その願いが通じたのか、葵の耳が赤くなった。 「うん。三人で寝ると、安心するから」 言い訳のように紡がれた言葉。都古が寮生活を始めてから、それが習慣になっていたのだから無理もない。 でも元々は葵と二人きりで寝ることが多かった京介はどこか不満そうな顔をしていた。京介一人では足りないと、そう言われている気分なのかもしれない。 都古もそれは同じだ。これほど共に過ごしていても、遥が抜けた寂しさすら埋めてやれない。静かに涙を零し、冬耶に慰められた葵の姿を思い出して、また胸が苦しくなった。 「じゃあ、今日は三人?」 「うん」 「……普通に、寝る?」 暗に昨日の続きを匂わせれば、葵はまた一段と頬を赤くして“普通がいい”と頷いてきた。無理強いする気もないし、出来れば京介と共に葵に触れるなんてあれきりにしたい。だから都古は粘ることなく、葵の願いを聞き入れてやった。 京介にキスをされる姿も、彼の手で蕩けた顔をするところも、見たくない。 でも葵は都古と京介がこのまま迫り続ければ、二人の気持ちに平等に応えようと努める気がした。何を望まれているかまでは正確に分かっていない様子ではあったが、二人が求める行為を三人で出来ないかと確認してきたあたり、都古の勘は大きく外れてはいないと思う。 更に心配なのは、葵の平等の範囲が京介だけでなく、明日やってくる者たちにも適用されかねないこと。皆で葵を共有し、愛するなんて未来は御免だ。 でももしも葵が本当にそれを望むなら、都古はその意に沿うしかない。葵の味方で居続ける。それを選んだのは他でもない、自分自身だ。 己の選択の重さを実感しながら、都古は葵の体を抱く腕に力を込めた。

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