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act.7昏迷ノスタルジア<135>
「エレナさんに怪我をさせられて、それを今度は馨さんに叱られる。ずっとそんな負のループの中であーちゃんは育ってた。ほんと、見てらんなかったよ。な、京介」
「……あぁ」
当時の葵を知るもう一人の人物、京介に話を振れば、彼はただ苦々しげな顔で頷いた。
正義感の強かった京介は、葵が理不尽な理由で折檻を受けているのを目撃すれば、すぐに飛び出し守ろうとしていたけれど、大人にはどうやっても敵わない。庇えば庇うほど、余計に葵への当たりがきつくなることも分かり、相当歯痒い思いをさせられたはずだ。
「あーちゃんが小柄なのも体が弱いのも、元々の体質もあるだろうけど、小さい頃まともに食事をとらず、日光にも当たらずな生活を送ってたのも原因みたい。ひどい話だよな」
西名家にやってきてからは、健全な生活を送らせてきたが、幼少期に受けたダメージをまだまだ補ってやれてはいない。
葵の小ささを可愛いと感じ、普段愛でているであろう一同は冬耶の言葉でそれぞれが複雑な表情を浮かべていた。葵本人は大きくなりたいとは願っているものの、皆に可愛がられること自体は嫌がっていない。だから今までと変わらず接してやればいいと伝えると、彼らを幾分かは安堵させられたようだ。
「引っ越してしばらくしてから、あーちゃんは俺らと一緒に幼稚舎に通えることにはなった。これは後から聞いたけど、馨さんの父親、つまりあーちゃんのお爺さんが口添えしたらしい。普通の生活を送らせるようにって」
「まぁ、全然普通じゃなかったけどな」
京介が突っ込みを入れた通り、葵は外に出る機会を得たはいいものの、欠席も多かったし、家での過ごし方は相変わらずだった。どうせ介入するならば、きちんと葵の生活を改善してほしいものだが、結局は世間体さえ整えられたら良かったのだろう。
「あの家に大きな変化があったのはその翌年。あーちゃんに弟が生まれた」
「……兄貴」
冬耶がその話題に入ろうとすると、京介が声を掛けてきた。ちらりと視線が忍を経由したから、何を言いたいかは分かる。でもこの話も避けては通れない。冬耶が宥めるように笑ってみせれば、京介はそれ以上何も言わなかった。
「父親は馨さんではなかったと思う」
なぜ結婚生活を送っていたのかが不思議なほど、夫婦仲は冷え切っていたし、藤沢家はその存在を認めず、無かったものとして扱っている。エレナが馨や葵への当てつけのように可愛がっていた姿からも、この推測は間違いないだろう。
葵は出自など関係なく、弟の存在を嬉しがっていた。だが、可愛がりたくて仕方ない葵の願いは叶わず、エレナには触れることも、名を呼ぶことすら許されていなかった。
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