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act.7昏迷ノスタルジア<142>
* * * * * *
指定された住所にあったのは、一見ただの住宅のようなレストランだった。目立たない位置にある表札に書かれた店名と、昨夜届いたメッセージとを見比べた聖は、入口の扉に手を掛ける。
カフェでランチを、と聞かされていたからすっかり油断していたが、雰囲気だけでここが随分と高級な店であることは察知出来た。
制服は着替えてきたし、大人っぽく見える格好を選んではみたけれど、ジャケットぐらい羽織るべきだったかもしれない。聖は出迎えたスタッフに案内されて店の奥に進みながら、自分の選択を悔やんだ。
待ち合わせ相手はすでに到着していたらしい。クロスのかかったテーブルについて、窓の外から見える庭の景色を楽しんでいる様子の横顔は品があり、美しい。
「すみません、遅くなりました」
待ち合わせ時間ちょうどに到着したのだけれど、思わずそんな台詞を口にした。目の前の彼、馨を前に柄にもなく緊張している証拠だ。
「あぁ聖くん。大丈夫、私もさっき着いたばかりだから」
お決まりの返答と共に朗らかに笑いかけてくる馨に促され、聖は正面の席についた。
「一昨日はごめんね。急に予定変更してもらって」
「いえ、全然。……仕事、忙しいんですか?」
馨側の都合で約束を反故にしたことを詫びられ、聖は思わず探るような質問をしてしまう。彼の名字が“藤沢”であることを知ってから、その正体を暴きたくて仕方がないのだ。
だから葵との勉強会の誘いを断り、こうして馨と会うことを優先させた。久しぶりに葵に会いたくて堪らないが、馨のことが気になる。
爽にはただ“仕事”だと伝えてここへ来た。馨が聖だけに連絡を寄越したことも、彼の名字のことも、爽にはまだ打ち明けていない。
「色々とね。普段はしがない勤め人だから、なかなか自由に動けなくて」
カメラマンとして出会ったものの、馨が只者ではないことは分かっている。“しがない勤め人”が秘書やボディガードを従え、仕立ての良いスーツを着て昼からワインを口にするわけがない。
特に苦手なものや、アレルギーがないと告げれば、馨はメニューも見ずに何品かを注文してくれた。ここへは何度も足を運んでいるのだろう。
「それで、俺に仕事の話って……」
スタッフが下がるのを見計らい、聖は早速今日の本題に入る。馨のことを知りたいという目的はあれど、純粋に彼からの誘いが嬉しくもあった。
馨のカメラマンとしての才能は以前の撮影で十分に感じているし、そんな馨から一緒に仕事を、なんて声が掛かればモデル冥利につきる。
「うん、前に事務所で会った時、ギャラリーを作ろうとしているって話をしたの覚えてる?」
「あ、はい。アイちゃんの」
「そう。基本的には過去撮った写真を飾ろうと思うんだけど、聖くんとの写真も展示したくて」
馨からの依頼は思いがけないものだった。馨の子だという“アイ”が、葵である可能性を考えていたからだ。
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