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act.7昏迷ノスタルジア<153>

葵が今回の範囲の中で最も苦手とするのが数学のようだった。もう一度間違えた部分を丁寧に解説してやったあと、似たような問題ばかりを集めて解き直させてみる。葵もようやく理解が進んだのか、ペンの動きは滑らかだ。 その様子を見ながら、櫻は自然と少し前の話を思い出していた。 葵が実の家族を失っている。そのぐらいの予想はつけていた。父親から偏った愛情を注がれていた、ということも写真を見て察してはいた。だが冬耶からの話はさすがに櫻の想像を上回っていた。 “この子に関わると不幸になる” 月島家に出入りする実業家の男が、幼い葵の写真を見てそう言っていた。あの時も葵に罪を押し付ける大人たちに憤ったけれど、今は更に強く思う。葵は身勝手な親に振り回されただけだ、と。 葵はどう思うのだろう。いくら冬耶の判断とはいえ、本人の意思を無視して秘密を暴かれたことを、卑怯だと怒るだろうか。それとも、悲しむのだろうか。 いや、傷跡を見られることすら怖がった葵のことだ。不安がるかもしれない。周囲に嫌われること。蔑まれること。そんなありもしないことを恐れる姿が目に浮かぶ。 「葵ちゃん」 思わず名を呼べば、葵はすぐにノートから目を離し、隣の櫻に視線を向けてきた。 「どこか間違ってましたか?」 「違う。そうじゃなくて」 悩む仕草のせいで少し乱れた耳元の髪を撫でてやり、櫻は今葵に掛けたい言葉を己の心から探り出す。勘付かれてはいけない。それでも、何も言わないままでいるのは無理がある。 「こういう時間、悪くないなって」 素直に幸せだと告げるのは唐突すぎるし照れ臭い。だからついそんな言い回しになってしまった。自分でもこの天邪鬼な性格が嫌になる。 でも櫻にとってありがたいのは、目の前の彼が櫻とは対局だと言えるぐらい真っ直ぐなこと。 「はい、とっても嬉しいです」 「……うん、僕も」 こうして同意するぐらいならハードルは高くない。櫻が共感すると、葵はますます晴れやかな笑顔になった。 葵はきっと櫻が示した“こういう時間”の中に、この空間にいる全ての人物と過ごすことも含めているのだろう。櫻とは違う。それでも、今はそれでいい。葵が幸せなら、それでいい。 自分の随分な変わりようがおかしくて、櫻の表情もまた一段と綻んだ。

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