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act.7昏迷ノスタルジア<157>

* * * * * * 奈央経由で冬耶が送ってきた写真通りの贈り物は、帰り際に葵の手で一人一人に手渡された。水色のリボンで結ばれた透明の袋に入っていたのはマーブル模様のクッキー。そして小さなメッセージカードも添えられている。 ここでは見ないで欲しいと念押しをされたが、皆が門扉を出てすぐにカードを開き始めるのはある意味お約束の流れだったと思う。 「だから、見ないでください」 「家の中では見なかったんだから、約束は守ったでしょ」 櫻に屁理屈でねじ伏せられ、真っ赤な顔して恥ずかしがるのだから仕方ない。 カードを開かなかったのは奈央と綾瀬だけ。他は葵の反応を楽しみながら、目の前で葵からのメッセージを読み始める。葵のことが好きだからこうしてからかいたくもなるのだ。 忍ももちろんカードを開いたが、読み進めることは出来なかった。 “忍さん” 冒頭に書かれた宛名から視線が外せなくなる。 会長という役職ではなく名前を書いたのは、きっと葵なりの気遣いだ。忍が名前で呼んで欲しいと我儘を言い続けたから、せめて文字だけでもと、そう考えてくれたのだろう。 書記を務める葵が忍の氏名をキーボードで打ち込んだり、ペンで書き留めたりする機会はそれなりに多い。冬耶の言う通り、本当に口にするのが困難なだけで文字にする分には葵の負担ではないのかもしれない。 でも、あんな話を聞いてしまえば、心が痛む。 自分よりも櫻や奈央との距離が近い気がして、ごねていただけだ。葵側にあれほどの理由があるならば、本当にどんな呼ばれ方をしても構わない。練習までさせて葵に苦痛を与え続けるなんて、耐え難い。 葵にトラウマを与えた人物と同じ名前。そのぐらいの予想は付けていたし、覚悟も出来ていた。だから冬耶からの話を聞いている最中、先に答えに行き着き、随分穏やかに受け入れられたと思う。周りのほうが忍より余程動揺していたくらいだ。 「弱音吐き出したいなら聞いてあげてもいいけど」 迎えに来させた車に乗り込めば、共に後部座席に並んだ櫻が相も変わらず傲慢な物言いをぶつけてくる。 行きは一緒に車でやってきた奈央は、本屋に寄りたいという理由で幸樹や爽と共に徒歩で駅に向かった。だからこの空間には櫻と二人きり。もしかしたら奈央は忍のフォローを櫻に任せたのかもしれないが、明らかな人選ミスではないだろうか。 亜麻色の髪をかき上げ、優雅に足を組む姿はどう見ても友人を慰める態度ではない。 「別に。お前に話すことはない」 「まぁ辛気臭い顔はしてないもんね。名前問題、案外大丈夫だったんだ?」 「……ずけずけと踏み込んでくるな」 いつも通り過ごすことに決めてはいるが、ストレートに突っ込まれるとさすがに反応には困る。 「葵ちゃん、元々は“北条さん”だったよね?それに戻してもらえば?会長よりはマシでしょ」 櫻の言う通り、出会ってしばらくは苗字で呼ばれていた。しかし冬耶が正式に引退してからは、いつのまにか役職呼びに変化し、今に至る。葵に何の意図もないことはわかっているし、むしろ葵なりに親しみを込めて呼び始めたのだとは思う。

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