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act.7昏迷ノスタルジア<158>
「今のままで構わない」
「会長で?でも卒業したらおかしくない?」
「あぁ、そこまでは考えていなかったな」
確かに、生徒会を離れてまで葵に“会長”と呼ばれるのは違和感がある。学園を卒業したとて、葵との縁を切れさせるつもりもない。
「だがいずれ葵も“北条”になるとしたら、苗字呼びもおかしいだろう」
「……は?何言っちゃってんの?」
櫻からは頭のおかしい人間を見るような目を向けられるが、冗談を言ったつもりはない。
「葵ちゃん、嫁に貰うつもり?」
「それが出来たらいいが、まぁ、養子が現実的なところだろうな」
葵を伴侶として迎え入れられたらそれほど幸福なことはないが、今忍が考えていることは少し意図が違う。
冬耶の話を聞きながらずっと、いやその前、学費の件を調べる中で葵が藤沢家の出だと知ってから考えていた。あの家に正面から対抗できるほどの財力と権力を持っているのは忍しかいない。その自分にしか出来ない役割を考え尽くしていた。
葵を物のように扱うのは気が進まないものの、藤沢家との駆け引きの中で葵に見合う対価を支払うことはおそらく不可能ではない。それが金でも物でも、もっと別の何かでも、だ。
そうしてこれから葵を形式上北条家の庇護下に置けば、少なくとも葵の身の安全は確保してやれる。
「あ、そういうこと。てっきりショック受けすぎて頭の中お花畑になったのかと思った」
考えを打ち明ければ、櫻は納得した素振りを見せつつも、遠慮なく失礼な物言いを続けてきた。
「どうあがいても西名さんのとこは一般家庭だしね。葵ちゃん守るのも限度はあるか」
藤沢家がその気になれば葵はすぐに奪い去れる。それをしないということは、絶対的なトップである当主が今葵を引き取るのは得策ではないと考えているからだろう。
冬耶の口振りでは、まずは馨を優秀な次期当主に育て上げる、それが第一の目標であるらしい。そのために、馨にとって最大の褒美である葵を与えるのはまだ早い、そういう判断が下されているだけだ。
「忍は面識ある?藤沢の人たちと」
「当主の柾さんとは何かの集まりで挨拶を交わしたことがある」
おそらく七十に近い、もしくは超えている年齢だとは思うが、あまり老いも衰えも感じさせぬ立ち居振る舞いや眼光の鋭さは強く印象に残っている。
「葵ちゃんの父親は?」
「噂で名前を耳にする程度だ。ずっとアメリカに居たしな、会う機会もなかった」
穀潰しだとか、狂人だとか、そんな評価も聞いたことがある。酷い言われようだと感じていたが、冬耶の話を聞けば納得だ。
実の息子にあんな格好をさせるだけにとどまらず、写真集まで発行していれば、周りからはさぞ白い目で見られたことだろう。アートの界隈では彼の芸術性が高く評価されているようだが、藤沢家が躍起になって馨の更生に乗り出したというのも無理はない。
「今の年齢の葵ちゃん求めるってことは、ただ被写体として欲しいってわけでもないよね、きっと」
息子として可愛がりたいわけでもないだろう。あの写真集の最初のページを思い出す。鳥籠を模したケージに入れられた葵。それが馨の欲を如実に表しているように感じられる。
「今のままだと葵から藤沢家を選ぶ可能性もあると言っていたな」
葵が父親に置き去りにされた記憶を引きずるのは当然のことだろう。だから父親が迎えに来たと知った時、その手に縋りたくなる気持ちも分からないでもない。
それに、冬耶は葵が“人形”としての教育を受けていたとも言っていた。馨の前では葵の意志は無になり、馨の言うことに逆らえない。感情も何もかもをなくしてしまう、そんなスイッチが入るのだという。一種の洗脳を施されているのだろう。
だから馨には絶対に会わせてはいけないと警戒するのはもっともだった。
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