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act.7昏迷ノスタルジア<180>

* * * * * * テーブルの上には葵からもらったクッキーの包みとメッセージカードが並んでいる。自分の分だけでなく、預かった聖の分まで。それを勉強の合間眺めては、今日の出来事を振り返っていた。 冬耶の話は爽にとっては初めて聞くものばかりで、数時間経った今でもまだ少し、混乱している。葵の過去だけでなく、歓迎会の湖での事件も爽は知らされていなかった。夜の湖に自ら身を投げたなんて露ほども思わず、体調を崩したという嘘を真に受けていた自分が情けない。 帰り道が一緒になった奈央はずっと黙っていたことを謝ってきたけれど、やりきれない気持ちは否めなかった。 自分たちの誕生日に、怖がる葵を強引にボートへ乗せたことも今更ながら後悔する。泳げないから怖がったわけではない。いや、それもあるのだろうが、そもそも葵が泳げない理由は、昔母親に溺れさせられたからだ。 葵は爽たちと一緒に楽しめたから苦手を克服できたと笑ってくれたけれど、あんな風に無茶をさせて良かったわけがない。葵に謝りたい。けれど、何も知らないフリをしなければならない。それが尚更辛かった。 葵とは笑顔で話せたとは思う。けれど、長い時間会話することは出来なかった。周囲に人が多すぎたこともあるが、葵と対峙すると彼への想いが溢れてきて余計なことを言ってしまいそうになるからだ。だから軽口でちょっかいをかけてきた幸樹の存在は有り難かった。 掴み所もなく、適当な先輩だと思っていたが、今日一日共に過ごして分かった。彼は恐らく周囲をよく見ているし、状況に合わせて必要な役割を演じられる人だ。爽が表情を安定させられないことに気が付いて、あえて声を掛けてきたのではないかと思わせる。 自分よりたった二歳年上なだけ。そう思って侮っていたが、平常時と変わらず葵に堂々と接していた忍や櫻の姿を見ても、自分がいかに幼いかを思い知った。 唯一奈央だけは動揺を隠しきれていなかったけれど、彼はただ純粋に葵の体調や心を気遣い続けていた。優しい奈央が爽たちのように己の好奇心だけで葵を振り回したり、傷付けたりするようなことはきっと今まで一度だってないはずだ。 今日何度目かも分からない溜め息を溢していると、ようやく聖が仕事から帰ってきた。 「おかえり、聖」 「ただいま。腹減ったー。なんかあったっけ?」 聖は鞄を放り投げるなり、キッチンに向かってしまう。ガサゴソと棚を漁る音を聞きながら、いつ今日の話を聖に切り出すべきか、爽はタイミングを見計らっていた。 聖のことだ。自分を差し置いて、葵に纏わる大事な話を聞かされたと分かったら、きっとひどく憤るに違いない。短気で我儘な兄の気質は爽が誰よりも理解している。 ひとまずただでさえ苛ついている空腹時は避けたほうがいい。それに出来るだけ彼の機嫌がいい状態を作るべきだとも思う。 だから爽は、聖がレトルトのカレーを温め、リビングに戻ってきてもすぐには切り出さず、まずは葵からのプレゼントを渡してみる。 「何これ、葵先輩の手作り?」 「うん、昨日作ったんだって」 「えー、マジか、めっちゃ嬉しい。食べんの勿体無いな」 爽の読みは当たり、聖は満面の笑みを浮かながら、受け取った包みを眺め始めた。リボンを解くのも惜しいとばかりに、携帯で綺麗な状態を撮影するあたり、相当喜んでいるようだ。 ちなみに、爽の携帯にもクッキーの写真は収められている。こういうところはやはり双子らしい。

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