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act.7昏迷ノスタルジア<181>

「葵先輩、どうだった?元気?」 「捻挫してるっぽくてサポーター巻いてたけど、歩けなくはないって感じだった」 元気そうには見えたけれど、暴行の名残は感じられた。それを直接的に表現するのは難しく、爽はただ事実だけを伝える。バランスの取り辛そうな葵に都古が常に寄り添い、背中や腕を支えてやっていたことも教えた。 「そっか、烏山先輩も一緒に居んのか」 「うん、謹慎処分食らってからずっと西名先輩んとこ居るらしい」 京介は迷惑そうに言っていたが、都古の実家の噂を知っている身としては彼が寮以外にも過ごせる居場所があるのは良かったと感じた。葵を巡ってライバルではあるが、不幸せになってほしいなんて思っているわけではない。 それは都古に対してだけではない。同じ時間を過ごせば過ごすほど、葵の周囲の人たちにも、爽は親しみを感じ始めていた。いつか誰かが葵と付き合い出せば、この不可思議な関係も終わりを告げるのかもしれない。それが少しだけ、寂しいとも感じる。 「あのさ、聖。落ち着いて聞いてほしいんだけど」 「なに、改まって。どうしたの?」 聖が食事を終えたのを見計らい、爽はいよいよ今日あった出来事全てを話す覚悟を決めた。 まず幸樹の説明不足を告げると、やはり聖は不機嫌そうにきつく眉をひそめた。でも思っていたように騒ぎ立てることはせず、先を促してきた。 だから爽は違和感を覚えつつも、冬耶から聞かされた話を出来るだけそのまま、聖に伝えていく。時折驚きを見せたり、苦しげな表情は浮かべたりしながらも、聖が口を挟むことは一度もなかった。 それだけ続きが気になるかとも思ったが、全てを話し終えても尚、聖は何かを考え込むように腕を組み、ジッと固まるまま。 「……聖?どうした?なんか変じゃね?」 すぐに葵に会いに行きたいとか、幸樹に文句を言いに行くとか。はたまた、仕事を通じて知り合った馨へコンタクトを取りたがるとか、そんな反応を予測していた。冷静に思案する兄の姿は予想外だ。 「変?どこが?」 「もっとブチ切れるって思ってたから」 「あぁ。でいうと、めっちゃキレてる。キレすぎてどうしたらいいか分かんない感じ。ていうか、自分でどこにどうキレてんのかも分かってない」 なるほど。感情が振り切れすぎた、というのならば、納得は出来る。爽も似たようなものだ。 葵を直接的に傷つけた母親の存在が一番憎いと思う。けれど彼女はもうこの世にはいない。今怒りの矛先を向けるべきは、母親の虐待から守ることをせず、葵を精神的に追い詰めた馨。 好意的に思っていた分、あの馨が葵の父親で、そして葵を苦しめている人物だという事実は爽にとっては悲しいものだった。おそらく聖も同じ気持ちだと思う。 もしも冬耶の予想する通り、そもそも葵と知り合いだと分かった上で双子に近づいてきたのならば、まんまと懐いた自分達があまりにも愚かで、惨めだ。悔しくて堪らない。 「なぁ聖。母さんはさ、馨さんと昔から知り合いっぽいじゃん。話聞いてみない?」 馨に直接会いにいくのは危険だし、勝手な行動を取るべきではないと思う。でも“アイ”のこともよく知っているようだったリエに確認をするぐらいは構わないだろう。 「あぁ、確かに。当時どんな感じだったかは聞けるかもな」 聖は提案には同意する素振りは見せたが、全力で乗っている感じではない。いつもと違う聖の態度は爽の調子を狂わせる。彼をどうやって宥めようか悩んでいたのは完全な杞憂だったようだ。

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