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act.7昏迷ノスタルジア<184>

「葵くんの中で、お父さんとの一番古い記憶は何だろう?」 宮岡は葵の戸惑いに気が付いたらしく、すぐに質問を変えた。 心当たりはいくつかある。けれど、今はっきりと思い出せるのはあの家に引っ越して来た日のことだ。 「“葵のためのおうち”ってパパは言ってました。絵本で見たお城に似ていて、すごく嬉しかったのを覚えてます」 今でこそ屋敷の壁や門に蔦が這い、敷地を埋め尽くすように雑草が生い茂るせいで暗い印象が強いけれど、当時は違った。 陽の光を浴びて輝く白い壁に、赤い屋根。葵が繰り返し読んでいた絵本の中で、森の動物達が楽しく過ごす城にそっくりだった。だからこの家で過ごす日々もきっと素敵なものになるに違いないと、あの時の自分は信じていた気がする。 でもその期待は大きく外れてしまった。あの家で葵は大切な家族を全て失った。 「お家の中も絵本のお城に似ていたんですか?」 「中は……どう、だったっけ」 家の内部をよく思い出そうとすると、どうしても恐ろしい記憶ばかりが溢れて来て邪魔をする。思わず声を震わせれば、隣に座る宮岡が体をこちらに向けてきた。そしておいでと腕を広げてくれる。葵は素直に甘え、彼の胸に頬を寄せた。 宮岡の服からは、爽やかな石鹸のような匂いがする。ほのかに漂う程度の清潔感のある香りは、宮岡の部屋にも満ちていた。そこで目覚めた時はほとんどパニックに陥っていた状態だったから、正直内装はロクに覚えていないけれど、香りはきちんと記憶に残っていたらしい。 では、あの家の香りはどうだったのだろう。葵はそこから記憶の糸を辿ることに決めた。 馨から届いた手紙に染み込んでいた甘い花の香り。体にじんわりと染み込むような品の良い甘さは家主からだけでなく、家の至る所で感じられた気がする。 特に強く感じたのは馨の部屋。馨が家に居る時は、葵もほとんどの時間をその部屋で過ごした覚えがあった。 「パパの部屋にはカメラが沢山あって、隣には小さなスタジオみたいな場所もあった気がします」 本格的なものではなかったと思うが、よくそこで撮影をしていた記憶はある。無数の衣装が吊られた部屋もあった。その日葵が着る服を馨が選び、そして彼の手で着替えさせられていた。 「大きな鏡の前で、沢山練習しました」 「何の練習ですか?」 「笑顔の練習。パパの好きな笑顔。合格がもらえるまで、ずっと」 口角を少しだけ上げる綺麗な微笑み。カメラを向けられた時に決められた笑顔を見せられなければ、馨にはひどく叱られた。でも反対に、うまく出来た時には“いい子”だと褒められ、キスをもらえた。

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