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act.7昏迷ノスタルジア<188>

「あの子を過度に悲しませることはしたくないんです。それに、先生も気付いているとは思いますが、あの子は性的なものに一切触れさせてこなかったので。多分、すんなりとは理解できないと思います」 葵が年齢よりも幼い印象を受けるのは、やはり冬耶の手引きだったようだ。馨からの虐待の可能性を恐れて遠ざけてきたのは理解できる。でも、このままでは無防備すぎて心配だ。 「どの程度無知なのかは分かりませんが、全く知識がないのもどうかと思いますよ。私から教育することも出来ますし」 身近な人物から教え込むのが難しければ、宮岡が淡々と最低限の知識を与えてやってもいい。医師としての言葉ならば、葵も飲み込みやすいだろう。 だが、宮岡の提案に冬耶は礼を言いつつも、やんわりと断りを入れてきた。自分でどうにかするつもりだという強い意志を感じる。 だから宮岡はそれ以上首を突っ込むことはやめ、話題を変えた。 「そういえば葵くん、少しだけアキのことを思い出す兆しを見せてくれました」 あの家での暮らしを具体的に思い起こさせる中で、葵は共に暮らしていた穂高の存在を感じ始めた。でもよほど固く鍵を掛けたのか、葵の記憶の扉がそれ以上開くことはなかった。 葵は悔しそうにしていたけれど、無理をすることはない。それに、穂高を思い出したいと願ってくれただけで、宮岡にとっては十分な進捗だった。 「あーちゃん、穂高くんに会ったら離れなくなっちゃいそうですね」 「アキの困る顔が目に浮かぶよ」 二人を引き合わせる未来を実現させるには山ほどの困難を乗り越えなければならない。穂高自身、葵に恨まれるべきだと信じているのが厄介だ。それでも、冬耶の言う通り、葵はきっと穂高を全力で受け入れてくれると思う。 「どうしよう、もし穂高くんと暮らしたいって言われたら。反対する理由がないから困るな」 丸っ切りの冗談ではなく、冬耶の声には少し焦りのようなものを感じる。 「あーちゃん、穂高くんにべったりだったから。甘えて、信頼しきって、本当に大好きだったんだなって」 「それは今の冬耶くんへの態度と似ているね」 葵と穂高が実際に接している姿を宮岡は見たことがない。けれど、冬耶とのやりとりを見ていると、これに近しい関係だったのではないかと感じることがあるのだ。だから宮岡が素直に思ったことを口にすれば、冬耶は少し驚いた顔をして、そして笑ってみせた。 「穂高くんのことをきちんと思い出せたのは、本当に最近なんですけど。でも、それで気が付いたんです。自分はどこかで穂高くんの姿を参考にしてたんだなって。もちろん、俺なりの兄像は追求しましたけどね」 葵と深く打ち解けるために、穂高の立ち居振る舞いを見て学ぶのはごく自然な流れだろう。それを彼自身も幼いといえる年齢でやり遂げた冬耶は、やはり相当に賢かったのだと感じる。

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