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act.7昏迷ノスタルジア<189>

「穂高くんは、あーちゃんに忘れられたままでいいって言ってるんでしたっけ」 「ええ。それが葵くんを傷つけた償いだと思っているようです」 宮岡がどれほど説得しても、彼は一貫してそう言い続けている。だから葵から願わせるしかないのだ。穂高に会いたい、と。愛しい主人からの願いまではさすがに無下にできないだろう。 「だから馨さんの傍にも居てくれてるんですよね。なんかほんと、敵わないな」 穂高なりの愛情の捧げ方に、冬耶は苦笑いを浮かべた。 「俺ね、もう一つ思ったんです。あーちゃんは多分そんな穂高くんに育てられたから、ああいう子になったんだろうなって」 「……というと?」 「自己犠牲を厭わないって言うんですかね。自分が傷つくことには鈍いというか」 冬耶の言葉は宮岡になるほど、と思わせる。穂高が献身的に我が身を捧げ、葵に尽くしてきた姿は、少なからず幼い葵に多大な影響を与えたはずだ。元々の気質もあるとは思うが、葵は素直に穂高の愛情の与え方を学んだのだろう。 「まぁ、アキは葵くんにしかそういう面を発揮しませんけどね。彼の本質はかなり淡白ですから」 「へぇ、ちょっと意外」 学生時代の穂高は親しい友人も作らず、いつも冷めた顔をしていた。学業の成績は優秀だったが、委員会や部活動には参加せず、終礼が終われば飛ぶように帰宅するせいで、彼のプライベートは謎に包まれていた。 「先生はなんで穂高くんと仲良くなったんですか?」 「うーん、すごく端的に表現すると、私から声を掛け続けて粘り勝ちしたみたいなものですね。相当しつこく追い回しました」 宮岡の回答が予想外だったのか、冬耶は声を上げて笑い出した。でも大袈裟でなく、それが真実だ。 クラスメイトとして挨拶程度に一言、二言交わす関係ではあったが、そこから彼が早く帰宅する理由を尋ねはじめたのがきっかけだ。最初は当然のようにまともな返事はもらえなかったが、少しずつ彼が置かれた特殊な環境を把握できるようになった。 穂高は高校卒業間近で突如アメリカに旅立ってしまったが、そこで初めて彼は宮岡を頼ってくるようになった。自分の代わりに日本で葵の様子を見守ってほしい、と。宮岡を信頼していたというよりは、他にこんなことを頼める相手がいなかったのだろう。 「え、じゃあ先生はその頃からあーちゃんのこと?」 「うん、まぁ私は一般人なので、あくまで遠くから元気かなーってチラッと眺める程度でしたけど」 それでも十分ストーキング行為だと言われても仕方ない。多少の気まずさを抱えて打ち明けると、冬耶は驚きはしたようだが、嫌な顔はしなかった。 「そうか、二人であーちゃんのことずっと見守っていてくれたんですね」 西名家に引き取られたばかりの頃の葵は見ていられないほど痛々しかったけれど、少しずつ子供らしい表情を浮かべられるようになっていく変化は、穂高に伝え続けていた。

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