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act.7昏迷ノスタルジア<197>

「それからあーちゃんにはこれも渡さないとな」 都古が携帯を自分の浴衣の袂に仕舞ったのを見届けて、冬耶はもう一つ、葵へのプレゼントを差し出してきた。促されるまま開いた白い化粧箱の中身は、登校に欠かせないもの。 「あれ?どうして?」 一ノ瀬の件で失くした制服一式と革靴。でもこれはすでに馨から贈られたはずのものだ。葵は当然明日からそれを身に着けるつもりでいた。 「注文したって言っただろ?間に合って良かった」 「えっと、じゃあ、二つ制服が届いたってこと?」 「そう。絶対にお兄ちゃんのほうが先に頼んだのに、馨さんのほうが先に仕上がるってひどい話だよな」 苦笑いする冬耶に、京介が金にモノを言わせたのだろうと吐き捨てるように返していた。京介とは馨についての会話をほとんど交わしていないが、やはり良い印象は抱いていないようだ。 「物は一緒だっていうのは分かってるよ。でもお兄ちゃんが頼んだやつ使って欲しいなって思ってる。どうかな?」 馨が制服を贈ってくれたと知って、自分は確かに嬉しいと感じた。つい先ほどまで、大事に使わせてもらうつもりでもいた。けれど、葵を思い、登校の準備を整えてくれた冬耶の気持ちに応えないわけにはいかない。 「今なら、お兄ちゃんが使ってたネクタイもオマケします」 ダメ押しとばかりにブルーのネクタイも見せてくる。以前葵が頼んだことをきちんと覚えていてくれたようだ。 「お兄ちゃんのがいい」 言葉だけでなく仕草でも示すように、制服の包みを胸に抱えれば、冬耶は心底嬉しそうにくしゃりと笑った。 受け取ったネクタイには、裏面にイニシャルが刺繍されている。一年間使われた名残はあるが、大好きな兄の名が刻まれているだけで葵にとっては何よりも特別なものに思えた。 「せっかく新しいの作ってくれたのに、って思うけど。お兄ちゃんのネクタイ、ずっと付けてたい。いい?」 「もちろん。そんなに喜んでくれるんなら、卒業する時にあげれば良かったね」 三年生用の赤いネクタイも欲しいと言ったら、さすがに冬耶は呆れるだろうか。今はその願いを口にすることはしないが、いつか頼んでみたいと思う。 自分で望んでいたこととはいえ、冬耶と離れて学園に戻ることは不安だ。でも、携帯を通じて冬耶とはいつでも言葉を交わせる。それに彼のネクタイをずっと身に付けていられるのだ。寂しさも薄れてくれるはず。 「大丈夫、がんばれる」 臆病な自分を奮い立たせる意気込みは、胸の中だけに留めておくつもりだった。でもなぜか口から溢れ出て、この場の三人の耳に届いてしまった。 温かく見守るように微笑んでくれる冬耶と、ただ静かに寄り添う都古。そして、子供っぽい葵を少しだけ馬鹿にするように笑う京介。 彼らがこうして傍に居てくれて本当に良かったと思う。彼らが居ない生活など、やはり自分には考えられそうもない。 それでもどこかで馨の存在がちらついて胸が痛くなる。この痛みはどうしたら癒えてくれるのだろう。 その答えを探すためにも、今は自分に出来る精一杯の日々を過ごそうと心に決めた。

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