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act.7昏迷ノスタルジア<207>

「あーちゃんがこの家に来てから一緒に描いた絵は、全部取ってあるよ」 失ったものは取り戻せないけれど、代わりに新しい思い出は山ほど作ってきたつもりだ。子供たちで作り上げた作品は陽平の書斎やリビング、両親の部屋など、この家の至る所に保管されている。 「いつから描かなくなっちゃったんだろ」 「あーちゃんがお絵かき以外に出来ること、沢山増えたからじゃないかな」 葵はどこか寂しげに言うけれど、冬耶は前向きに捉えていた。 家に引きこもり、本を読んだり、絵を描いたりすることしか出来なかった葵。でも学校に通い始め、勉強を頑張るようになった。今では立派に生徒会の活動をこなしている。冬耶と静かに絵を描いて時間を潰す必要などなくなったのだ。決して悪いことではない。 冬耶の言葉で葵はくすぐったそうに笑ってみせるから、この想いは伝わってくれたらしい。 出会った頃から変わらず、冬耶にとって一番に可愛い存在。笑顔を見る目標はとっくに叶ったけれど、今はこの子が幸せだと確信できる環境を作ってやることが冬耶の夢だ。そのためなら、自分の恋心など封じ込められる。 でも冬耶の決心を知ってか知らずか。葵は不意に昔の呼び名を口にした。 「冬耶くん」 葵がこの家にやってきた時は、精神的なショックで声を失っていたし、冬耶は葵の兄として振る舞い始めていた。だから、葵の口からそう呼ばれるのは実に十年ぶりのこと。 「あーちゃん。どう、したの?」 急なことでまともな反応が出来なかった。ただ心臓が壊れたように脈打つ。 「これも思い出したの。そういえば昔は冬耶くんって呼んでたなって」 はにかみながら打ち明けてくれた理由。葵にとっては、特別深い意図を込めたわけではないようだ。でも冬耶を動揺させるには十分だった。 “葵と家族になれるか?” 葵を引き取ることになった時、陽平に問われたのだ。当時の冬耶は、葵への恋心を隠しもしていなかったから、当然陽平も幼い息子の思いを理解していた。 彼は子供の感情だからといって軽視することはせず、真摯に向き合ったからこそ確認してきたのだ。だからあの時冬耶も覚悟をした。 同じ問いを投げかけられた京介は、冬耶よりも幼かった。意味を理解せず、ただ葵と早く会いたいが故に“なれる”と即答していた。でもそれはそれで構わないと冬耶は思っていた。同い年の彼らでは、なんにせよ兄弟という立場を育むのは難しかっただろう。 だから京介の分まで自分が葵の家族になってやろうと決めたのだ。 でももしも葵がいつか、冬耶に兄以外の役割を求めてくれるのなら、その時はまた葵に“お兄ちゃん”以外の呼び名で呼ばれたいと考えていた。 だからそれが思わぬ形で叶えられてしまって、困らされる。それもこれほど体を密着させた状態で。 「あーちゃん、ごめん。ちょっと待って」 「どうしたの、顔真っ赤」 「いや、あの、めちゃくちゃ照れてる。お兄ちゃん呼び以外が久々すぎて」 葵に余計な不安を与えぬよう、正直に現状を伝えはするが、感情は一向に治らない。ジッと見つめてくる葵の視線を避けるように、葵の枕になっていないほうの手で顔を覆うが、隠しきれそうもない。

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