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act.8月虹ワルツ<4>

五限は前回で試験範囲を終えていたおかげで、自習の扱いとなった。だから京介は席を立ち、教室を去ることを選んだ。 授業をサボりがちなのは単に反抗心からだけでなく、静まり返った校内をふらつく時間をそれなりに気に入っているから。陽当たりのよい場所に寝転がり煙草を咥えている間は、常に抱えている苛立ちが薄れる気がするのだ。 中等部の半ば頃までは、時折不安定になり、教室に入れなくなる葵を連れて過ごすこともあった。でもクラスメイトに七瀬や綾瀬という友人ができ、勉強に真剣に取り組むと志してからは、ちっとも付き合ってくれないどころか、サボる京介を叱ってくるようになった。 教師の目を盗んで自販機でジュースを買うことも、それを二人で飲みながらただ手を繋いだり、抱き合ったりした時間はもう戻ってこない。葵の手を引っ張っているつもりだったけれど、立ち止まっているのは京介のほうだ。 屋上や中庭が京介にとっての定番のスポットではあったが、ここ最近、日に一度は足を運んでしまう場所がある。 葵が一ノ瀬に捕らえられていたという備品庫。駐車場からほど近い場所にあるそこには普段全くと言っていいほど人の気配はない。 あの事件で破られた窓ガラスと、ひしゃげた南京錠はこの週末の間で修復されたようだ。新品に差し替えられたことを知ると、まるで葵が傷つけられたこと自体が無かったことにされたような気がしてやりきれない思いが込み上げた。 誰にも知られず、密かに解決すべきことなのはわかっている。京介だってそれを望んでいた。でも、葵の心はこんな風に傷ひとつない状態に戻してやることは出来ないのだ。 「ナニしてんの?」 倉庫を睨みつけていると、不意に背後から声が掛かった。低い声とは裏腹にどこか弾んだ口調の持ち主が誰か。京介はよく知っている。今は特に会いたくない男だ。 振り返るとそこにはやはり赤髪の彼、若葉がいた。足元に何匹かの猫を纏わりつかせている。どうやらこの学園に住み着く野良と戯れにやってきたらしい。見かけによらず、彼にとって猫だけは寵愛の対象。 「別に」 あの夜葵に触れたのは一ノ瀬だけでなく、若葉もそうだ。まともに会話すれば頭に血がのぼって手を出しかねない。それを避けるために距離を置こうとするが、若葉は許してくれなかった。 「葵チャン、復活おめでと。元気そーだネ」 しゃがみこんで猫を撫でながらも、若葉は葵の名前を平気で口にする。やはり彼は葵の動向を把握しているようだ。葵の登校を知ったから彼も現れたのかもしれない。 「あの上野がさ、真面目な顔して言うのよ。葵チャンが一番大事な子だって」 「……で?」 「何かしたら許さないって凄まれちゃった」 幸樹は真正面から若葉を牽制したらしい。いつもふざけた彼だからこそ、若葉には幸樹の決心が伝わったようだ。

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