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act.8月虹ワルツ<10>

いつのまにか窓から夕陽が差し込んできたことに気が付いた。白金に近い葵の髪が茜色に染まっている。 共に放課後を過ごしていると何度も見る機会はあったけれど、その度に綺麗だと感じていた。でもこの珍しい容姿のせいで彼の心が理不尽に受けてきた傷を思うと、見え方が変わってしまう。 「……奈央さん?」 「あぁ、ごめん。つい」 葵自身が愛せないのならば、せめて奈央が愛してやりたい。そんなことを考えていたら、無意識に撫でてしまっていたようだ。突然触れられれば驚くに違いない。慌てて手を引っ込めようとしたが、葵はそれを嫌がった。 人にうつる病気だと言い聞かされていたせいで、触れられるのも苦手だったと聞いた。でも葵は離れかけた奈央の手を自らの手で引き止めてみせる。 「嬉しいです」 無理をしているわけではない。それは表情で分かった。 「こうして奈央さんがいつも撫でてくれるの、すごく好きなんです」 「……そんなに撫でてた?」 「はい、生徒会があるときは一、二回は撫でてくれます」 「ごめん、全く意識してなかった」 どうやら考えなしに手を伸ばしてしまうのは今に限ったことではなかったらしい。恥ずかしさが込み上げてくるけれど、葵がおかしそうにクスクス笑う声が耳に心地良い。 「奈央さん」 呼ばれれば、逸らしていた視線を戻さざるを得ない。照れを押し殺しながら向き合えば、彼は思いのほか真面目な表情を浮かべていた。 「奈央さんの部屋の隣に引っ越すって聞きました」 「試験が終わったら、だよね」 葵をより安全な環境に、というのは、以前から何度も話題に出てはいた。でもその度に京介や都古が傍に居たほうがいいだろうという結論に至って、ずっと先送りにしていた。 それをこのタイミングで強行するということは、冬耶はまだ学園内の安全性を不安視しているのだろう。 それに、彼は京介と都古、二人の関係が非常に不安定なことも恐れていた。連休最終日の諍いに立ち会った奈央としても、それは少しだけ気掛かりに思っていた。 「でも、葵くんは寂しいよね。西名くんや烏山くんと離れるの」 「そう、ですね。二人のことが心配です」 葵もまた、自分自身の孤独よりも二人が同室でうまく過ごせるのかを気にしているようだ。 「葵くんは大丈夫?」 「はい!もしどうしても寂しくなったら、奈央さんが一緒に寝てくれるって聞いたので」 「……それ、冬耶さんが言ってた?」 「違いました?」 あの先輩はなぜこうも奈央を苛めたがるのだろうか。奈央は確かに生徒会フロアに移った後の葵の様子を見守ることは了承した。でも添い寝の話など聞いていない。 ただ、葵が悪夢を見た時にどんな行動に取るかは目の当たりにしている。一人で寝かせるのも怖くはある。それに奈央が断った場合、葵が頼るのは忍や櫻、そして幸樹。いずれも葵と寝かせれば危険な相手だ。 「いや、違わないよ」 これ以外の回答など奈央には許されていなかった。 葵に何かをするつもりなど全くない。同じベッドで眠ったとて、それは言い切れる。 でも一人の時と変わらずに眠りにつけるのかというと、大分怪しいとは思う。ベッドとソファに分かれて眠ったあの夜ですら、葵の寝顔や穏やかな寝息が頭から離れずにいたのだ。

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