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act.8月虹ワルツ<14>
「本当に奈央のことが好きなら、まぁ分からなくもないけど」
「そう単純なものではなさそうに見えたがな。婚約は断らないくせに、受け入れもしない。中途半端な態度をとられてプライドが傷つきでもしたんだろう」
つい先日、学園に乗り込んできた加南子と直接対峙した忍がいうのだから、純粋な気持ちで奈央に恋しているわけではないのかもしれない。
妙に捻くれた性格の相手に好かれやすいのは、奈央自身が真っ直ぐすぎるせいだからか。
櫻は何度か見掛けたことのある加南子の顔だけでなく、学園内で奈央を執拗に追いかけ回す同級生のことを思い浮かべた。
「……そういえば、最近見ないな」
「何をだ?」
「福田」
休み時間の度に扉から顔を覗かせ、チャンスを見つければ即座に駆け寄ってくる未里。“奈央様”という呼称も、わざとらしいぐらい甘い声も、櫻には耳障りで仕方ない。でもここのところ、その不愉快さを感じていなかった。快適ではあるが、急な変化の理由が気になりはする。
「奈央があんなんだったから、さすがに気を遣ってたのかもしれないけどね」
一ノ瀬の一件から、奈央はロクに眠れていないのかあからさまに寝不足の様子だった。元々色白の部類ではあったが、顔色が悪い日も続いていた。でも櫻はそこまで言って、いや、と自分の言葉を否定したくなる。
あの未里のことだ。体調不良を察したら、ここぞとばかりに差し入れを渡して、心配するという建前で媚を売りにくるほうが自然。
「単純にあいつのストレス要因が一つ減ったのなら、喜ばしい話だがな」
「そう、だね」
忍もしっくりは来ていないような物言いだった。でも櫻と同様、違和感の正体が思いつかない様子。これ以上、二人で不毛な会話を続けていても仕方ない。ちょうど辿り着いた寮の入り口に奈央の姿が見えたから、未里の話題を切り上げるタイミングでもあった。
葵と別れたばかりなのか、奈央の表情には柔らかな笑みが携えられていた。櫻にはお節介で少々口うるさいクラスメイトではあるが、彼がこうして生気を取り戻してくれて良かったとは思う。
奈央もすぐにこちらに気が付き、軽く手を上げてきた。
「僕らを差し置いてするデートは楽しかった?」
生徒会フロアに繋がるエレベーターの前で合流し、あえて意地の悪い言い方で問えば、奈央の頬が赤くなる。こうしてからかうことも、自分達の日常であった。
「デートって。休んでいた間の情報共有してただけ」
「あんなに密着して歩いて?」
「あれは……葵くんが怪我してるから、支えてたんだよ」
確かに捻挫をしているのは知っている。今日校舎内でチラリと姿を見かけた葵は、まだ少し歩きづらそうにもしていた。おそらく事実なのだろうが、彼が照れた表情を浮かべたままなのは怪しい。下心が湧かなかったとは言わせない。
「いいな。僕も葵ちゃんとデートしたい」
「だからデートじゃないってば。葵くん、皆で一緒に夕飯食べたいって言ってたよ?」
「……デートがしたい」
葵の誘いは嬉しい。でも二人きりで過ごす時間が欲しかった。こうして学園に戻ってきてくれたはいいものの、学年が違うせいで日中はほとんど出会う機会がない。
ゴールデンウィーク中に共に過ごした時間は、葵にとっては楽しい記憶にはなってくれていないだろう。トラウマを抉り、ひどく泣かせてしまったのだ。嫌われていてもおかしくはない。だから一日でも早く、仕切り直しがしたいと願っていた。
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