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act.8月虹ワルツ<17>

都古も一緒に来るよう誘ってみたが、彼は葵の帰りを待つと言ってエレベーターに乗り込むことはしなかった。忍や奈央と共に生徒会フロアに向かっていると、これが試験後から日常になるのだと、妙な気分にさせられる。 「試験勉強は順調か?」 「あ、はい。多分」 忍に問われて頷きはしたが、実際は欠席した一週間分の影響を感じていた。それに、彼らが葵のための模擬試験を作るのにはきっとそれなりの時間を割いてくれたはずだ。そこまでしてくれたのに、悪い成績をとるわけにもいかないと、妙なプレッシャーを感じてしまう。 彼らは仮に葵がいつも通りの順位に届かなかったとて、慰めてくれることはあっても、怒るようなことは絶対にないとわかっているのに、だ。 「数学の試験の前日、一緒に勉強するか?」 フロアに辿り着くと、忍は不意にそんなことを提案してきた。葵がどの教科を一番心配しているか、なんて彼にはお見通しのようだ。 「いいんですか?」 「当然だ。俺の部屋においで」 「……忍?」 すぐに頷いた葵とは違い、なぜか奈央は少し咎めるような調子で忍を呼んだ。その理由が葵には分からないが、忍は理解できたらしい。 「勉強をするだけだ。さすがに、な」 忍の返しも葵にはよく分からない。探るように二人を見上げるけれど、彼らは揃って葵の頭を撫でて、そして櫻の部屋に行くよう促してくれる。 扉の前に立つと中からはうっすらとピアノの音色が聞こえてきた。それを妨げるのは気が引けたが、ここで帰るわけにもいかない。葵は覚悟を決めてチャイムに手を伸ばした。 その瞬間、音色はぴたりと止まるものの、何の物音もしない。扉が開く気配もなかった。だから葵はしばらく様子を窺ったのち、もう一度チャイムを鳴らした。 すると今度は少し乱暴に扉が開けられる。 「何の用?」 棘のある声音に思わず体がびくつく。でも驚いたのは相手も同じらしい。訪問者をもっと背の高い人物だと思っていたようだ。何もない空間に視線を彷徨わせた後、こちらを見下ろし、拍子抜けしたような顔になった。 「葵ちゃん?なんで?」 櫻の声にさっきのような怒気は込められていないが、それでも苛立たせたのは事実だ。助けを求めるように視線をちらりと背後にやれば、さっきまでそこに居たはずの忍や奈央の姿は忽然と消えていた。葵だけを残して彼らは自室に帰ってしまったようだ。葵と共に謝ってくれる存在はいない。 「あの、邪魔してごめんなさい。でもこれ、櫻先輩に渡したくて」 差し出した紙袋を見て、櫻は大きな溜め息をついた。中身が食べ物らしいことは察したようだ。 「ほんっと、余計なお世話。葵ちゃん使うなんて卑怯でしょ」 言葉は荒いが、友人たちの気遣いを拒絶するような色はそこにはない。どこか嬉しそうにも見えるのは葵の勘違いだろうか。

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