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act.8月虹ワルツ<19>
隣に並んだ櫻の手がサンドイッチの包みを丁寧に開いていく。美しいのは手そのものだけでなく、所作の一つ一つが目を惹くのだと、葵はこんな時感じさせられる。それに横から眺めると、彫りの深さや、睫毛の長さが際立って見えた。
「そんなに見つめられると食べにくいんだけど」
葵の視線を感じた櫻は、一度はサンドイッチを頬張るために開きかけた唇を閉じ、こちらに向き直る。この顔は怒っているのではなく、葵をからかう意地悪なもの。その表情すら一際綺麗なのだから、ずるいと思う。
「櫻先輩はやっぱり綺麗だなって」
「やっぱりって?いつも思ってるの?」
素直に頷けば、櫻の笑みはますます深まった。
「綺麗なのは知ってるし、散々言われ慣れてるけど、葵ちゃんが見惚れてくれるのは悪い気しないね」
「見惚れて……ました」
恥ずかしくて否定しかけたが、紛れもない事実。葵の弱々しい語尾に、今度は心底面白そうにくしゃりと顔を歪めて笑った。櫻のこういう表情はあまり見ることが出来ない。
「もっと見惚れさせてあげる。体育祭でね」
櫻はそう言ってごく自然に葵の頬に口付けると、今度こそ食事を始めてしまった。突然のキスにも反応したいが、体育祭というワードのほうが気になる。
「団長、やることになったんですか?」
「葵ちゃんが見たいっていうから、仕方なくね」
副会長の仕事だというのに、まるで葵のせいと言われるのは困る。でも、彼が動く理由になったというのならそれでもいいと思う自分もいた。
「もっと忙しくなっちゃいますね。今日のお昼も食べられなかったって聞きましたし……大丈夫ですか?」
「葵ちゃんに心配されたくない。僕のこと言えるほど、ちゃんとご飯食べてるわけ?」
そう返されると弱い。昼食も夕食も、一人前を食べきれなかったことを見透かされているようだ。でも葵はそれが普通でもある。京介や都古の手を借りて完食するのが日常だ。今日だって、都古が手伝ってくれた。
「僕は食事よりも優先したいことがあるだけ。コントロールは出来てるから」
葵の少食とは原因が違うのだと告げられても、安心するどころか余計に心配になる。彼をそこまで追い詰めるものが何か、心当たりがあるからだ。
櫻と共に出掛けた日。一方的に彼の家庭環境についての情報を与えられてしまった。愛人の子であったにも関わらず、才能があったが故に月島家の長男としての地位に縛り付けられているらしい。そして一族の誰もがそんな生まれの櫻を疎んでいるような環境だとも聞いた。
あの男が告げたことは葵を動揺させるための嘘かもしれない。だから全てを真正直に信じているわけでもないが、事実ならば色々と納得出来ることもあるのだ。
負けず嫌いの櫻のことだから、彼はそんな環境の中で弱音一つ吐かず、戦い続けているのだと思う。美しく、強い先輩はきっと葵のエールなど必要ないのかもしれない。でも彼のために出来ることを見つけたい。
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