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act.8月虹ワルツ<28>

「随分勝手だね。母さんのことも、俺のことも、ずっと無かったことにしてたくせに」 「困らないだけの金は渡した」 椿が怒る理由をちっとも理解していない柾は、さらに煽るような発言をしてしまう。柾からすれば、それで責任を果たしたつもりでいるのだろうが、明らかにそういった話ではないはずだ。この父親のもとで育てられた馨が歪んでいったのも無理はないと、こんな時に思わされる。 「保険金と一緒に根こそぎ爺共に取られたけどな」 「それはこちらの問題ではないだろう」 宮岡から見せてもらった資料では、美鈴が亡くなった後しばらくのあいだ椿は親戚中をたらい回しにされていたという。“爺共”と憎々しげに表現された人物たちはきっとその親戚のうちの誰かなのだろう。 椿とのあいだでどんなやりとりがあったかは分からない。だが、母親の遺したものを守れなかった経験が彼に大きな影響を与えたことは容易に想像がついた。 「椿、好きなところを選びなさい」 柾はそう言って自身のデスクの上に置いてあった冊子を差し出してきた。それを受け取り、椿に渡すのは穂高の役目。すぐに望まれた通りの動きをとる。 冊子はいずれも海外の大学のパンフレットだった。椿も表紙を見てこの先の展開を予想したらしい。表情はますます険しくなった。 「継がせるにしても、そうでないにしても、うちに置く以上お前の経歴は手を加える必要がある」 「清算してこいって?」 「金の問題で進学できなかったことには責を負うつもりだ」 つい最近まで馨をアメリカへと遠ざけていたように、椿に対しても同じ手法を使うつもりらしい。 柾が祖父として椿に提案しているわけでないことは明らかだ。藤沢家内で椿を受け入れた柾を疑問視する声が大きくなってきたゆえの応急処置なのだろう。 「大学行きたいなんて思ったことないけど。元々施設出たら働くつもりだったし」 「それで選んだのが水商売か?酒を運ぶ経験しかないお前がうちで何の役に立てると?」 柾は椿を本心から見下しているようだった。孫に向ける声と目ではない。 高貴な藤沢家の一族から椿が冷たい目を向けられる理由は、その生まれの経緯だけではない。高校卒業後、彼がいわゆる“夜の店”のボーイとして食い繋いでいた事実が何より受け入れがたいのだろう。 使用人ですら、表向きは椿に対して恭しく振舞いつつも心中では蔑んでいることが透けて見える。当然椿本人もそれを察しているに違いない。

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