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act.8月虹ワルツ<29>

椿にとってここは針のむしろのような環境のはずだ。味方など誰一人いない状況で敵地に乗り込んでくるなんて、正気の沙汰ではない。 柾と椿が繰り広げる無言の睨み合いの中、穂高は一人静かに今までの椿の言動を振り返る。 彼は思想こそ極端ではあるし、西名家への誤解も根強いけれど、葵を馨の手中に収めさせたくないという想いは一貫して主張していた。それは嘘ではないと穂高も感じている。藤沢家に乗り込んできたのが馨の帰国に合わせてというのも、近くで行動を見張るためだったのだろう。 「日本を離れるつもりないから」 沈黙を打ち破ったのは椿だった。そう言い残して彼は部屋を出て行ってしまう。その背中を追ったほうがよいのか穂高が判断しかねている間に柾から声が掛かる。 「穂高。あれを育てられると思うか?」 なぜ穂高がこの場に呼ばれたのか。柾の一言で自分に寄せられた期待を察する。 馨の次の後継者として、椿を扱うべきか否か。まだその判断が出来ずにいることは理解していた。傍にいる穂高の目から見た椿の資質を問いたいのだろう。 「馨様に気質が似ていらっしゃると感じる部分がございます」 ただその言葉だけで、柾は納得したように頷いた。 「経歴はいくらでも補正できるが、さすがに藤沢にふさわしくないという声が多くてな。馨にいい変化をもたらすことに期待したが、やはりそううまくはいかないな」 今まで存在を無視してきた椿をこのタイミングで受け入れた理由を、柾はそれとなく口にした。 「椿に可能性があれば、馨を切っても構わないんだがな」 「……旦那様」 さすがにこれは自分が聞いてはいけない範疇の言葉だ。思わずたしなめるような声を掛けてしまえば、柾は構わないと言って笑った。馨に仕えつつも、その心までは捧げてないことを柾は見越しているからこそ、穂高相手に本音を漏らしたのだろう。 「穂高、椿の面倒を見てくれないか。どこまで育つか、確かめるのは無駄ではないからな」 真っ直ぐにこちらを見据えて問い掛けられる。当主の願いに対し、拒否する選択肢は穂高にはないが、迂闊に頷くこともできない。 日本を発つ前の馨は今の椿のように、その資質を周囲から疑問視されている存在だった。それを十年で社長という地位にまで押し上げたことを、柾は穂高の功績だと考えているらしい。だから椿を海外へやる場合、穂高を付き添わせたいのだろう。

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