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act.8月虹ワルツ<32>
「しっかしあのクソ爺、すごいこと言うよな」
車に乗り込むなり、椿は遠慮なくこの家の当主を罵倒する。扉が閉まるのを待ったところには冷静さを感じるが、せめて藤沢家の敷地を出てからにしてほしいものだ。
「あれ、葵が生まれてこなきゃ良かったってことじゃん。ロクでもねーな」
椿が柾のどの発言を指しているのか、すぐには理解出来なかった。その様子を察したのか、椿は“母さんとのこと認めれば良かったってやつ”と答えを教えてくれた。
穂高はそれを椿の言うように、葵をないがしろにする言葉だとは受け取っていなかったけれど、確かにそういう見方は出来る。馨が美鈴と結ばれたままでいれば、葵がこの世に生まれることはなかったからだ。
葵に心酔する馨に手を焼いてきた柾のこと。葵をトラブルの種だと見なしている節は穂高も感じていた。だからこそ、一度は葵を施設に追いやり、西名家に受け渡すなんて手段もとったはずだ。
「俺さ、葵と施設で出会ったのは偶然だって思ってたけど。んなわけないよね」
走り出した車の中で、椿は欠伸混じりにそんなことを言い出した。
「……どういうことでしょうか?」
「爺が俺の居場所、把握してなかったわけないじゃん?所在ぐらいは掴んでおくだろ。はじめっからあの爺の手の平の上で転がされてる気ぃするわ」
椿は不快そうに眉を潜め、もう一度欠伸を繰り返すと瞼を伏せてしまった。気になる言葉だけを残すだけ残して、彼は仮眠するつもりらしい。本当にどこまでも気ままな男だ。
椿の言うことは一理ある。数ある施設の中で血を分けた兄弟が偶然同じ場所に集うなんて、とんでもない確率だろう。それにそもそもいくら手の施しようのない状態だったとて、葵を藤沢家の外に出し、施設に預ける行動自体、元々不自然に感じていた。
椿と引きあわせるつもりだった。そう考えたほうが自然だ。でもその目的が分からない。
穂高はバックミラー越しに椿の寝顔に視線をやった。起きている時はどことなく棘を感じさせるが、ああしていると自分より随分年下なのだと実感させられるほど幼く見える。
そしてそこにもまた葵の面影を見出してしまう。彼は間違いなく葵の兄だ。椿自身もそれを糧に生きていた。でも一方の葵は、椿の記憶など一切残さずに冬耶を兄と慕って過ごしている。
椿を哀れだと思う。
“お坊ちゃまが貴方を兄として求めるとお考えですか?”
椿に煽られるまま、そんな大人げない言葉を浴びせた記憶が蘇る。椿の心を深く傷つけたはずだ。
葵に対して不器用で乱暴なアプローチしか出来ない椿。葵を不必要なほど傷つけたことに対しての怒りは拭えないが、叶うことならあの時の言葉を撤回してやりたい。大人らしく助言してやればよかったのだ。
宮岡から、冬耶が椿と接触したがっているという話は聞いていた。二人の“兄”が巡り会うことを穂高は反対したけれど、悪い方向に進むとは限らないのかもしれない。
今日の椿の様子を見て、穂高はそう思い直すのだった。
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