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act.8月虹ワルツ<34>
「昨日もそうだった。お風呂で寝ちゃって滑りそうになったらね、助けてくれたんだ」
「風呂で寝んな」
葵なりに都古の頼り甲斐のあるエピソードを口にしたつもりが、京介は別のところに反応して叱ってきた。煙草の吸い殻を捨てたその手で、頬をぎゅっと摘んでくる。でも険のある表情ではなく、むしろその逆だった。
「一緒に入ったんだな」
昨夜都古と共に風呂から上がった時、京介は部屋に居なかった。しばらくして飲み物を片手に戻って来たから、さして気にしてはいなかったのだけれど、声音で気が付く。彼に寂しい思いをさせていたのだと。
でも、京介は先に入浴を済ませていたから誘うのもおかしい話だし、そもそも葵は一人で入るつもりだった。都古と過ごしたのは成り行き上のこと。ただ、今夜も都古と入る約束をしてしまっているのは問題かもしれない。京介を誘うべきなのだろうか。
「なんつー顔してんだよ。都古になんかされたわけ?」
ぐるぐると頭を悩ませていると、京介はその理由を都古だと捉えたらしい。一体どんな顔をしていたのだろう。探るような目に、首を横に振って答える。
付き合いの長い京介からは葵が誤魔化しているか、そうでないかは随分判別しやすいらしい。茶色の瞳がまた窓の外へと向けられた。霧のような雨は少しだけ勢いを増してきたようだ。
「すげぇな、あいつ。今お前と風呂入って何もしない自信ないわ。俺への当てつけか?」
自問自答するようなその言葉に、どんな反応をすればいいか分からなかった。
“次”は葵からも触れることを期待していると京介は言っていた。ふわふわとした記憶ではあるものの、聖や爽と何をしたかは覚えている。あれを望まれているのだ。想像しただけで、妙な熱が身体中を巡っていく。
「勉強、すんじゃねぇの?」
「……あ、うん。する」
固まった葵に、京介はそれ以上話を続けることはなかった。促されるままソファへと向かう葵を見つめる目はいつも通り優しい。
大好きな彼が望むことなら何でもしたいと思う。それは本心だ。でも都古が悲しむ顔がちらついて仕方ない。逆も然り。都古と触れ合えば、京介にあんな表情をさせてしまう。
三人でずっと仲良くしていたい。少し前は難しくない願いだと思っていたことが、今は葵をひどく悩ませる。
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