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act.8月虹ワルツ<38>
傍に居座る小太郎に構わず、聖は周囲に倣って自習の支度を整える。
暗記ものに関しては、声に出しながらのほうが頭に入りやすいものの、教室でそれをやるわけにはいかない。代わりに手を動かすことを選んだが、ペンケースからシャーペンを取り出したところで小太郎と視線がかち合った。彼はずっと聖を見つめていたようだ。
「なに?」
「……あぁ、その」
「言いたいことあるなら言えば?」
爽ではなく聖を見ていた。用があるとしか思えない。あからさまな態度をとってきたわりに歯切れの悪い小太郎を咎めると、彼は迷いながらも口を開いた。
「何かあった?すげぇ怒ってたけど」
いつの話だと聞き返す前に自力で答えに辿り着く。廊下での出来事を引きずったまま教室に戻ってきた、あの瞬間のことだろう。
普段と変わらぬ様子で小太郎に話しかけられたから、聖も同じ調子で返答できたけれど、あの時自分は確かに腹を立たせていた。こそこそと卑怯な手段で攻撃をしてくる同級生にも。それに対して何も出来ない自分にも。
「誰か分かってんだったら、注意するよ。クラスのやつ?」
能天気そうに見えて、二人が一部から悪意をぶつけられたことを察したらしい。
「別に。これ、自業自得だから」
この学園のしきたりを理解しようともせず、不必要なまでに煽った自覚はある。葵にアプローチしたことは一切後悔していないが、先々のことを考えてもっと上手く立ち回っていれば良かったとは思い始めた。特に本気で生徒会入りを目指す今となっては、大きな障害となっている自覚はあった。
でも小太郎の手を借りるつもりはない。
「つーか竹内はさ、自分も巻き込まれるかもとか不安にならないわけ?」
学園行事のグループ分けが一緒になったことは、事故のようなものだ。葵が介入したから断れない、という事情も周りは理解するだろう。でもこうして二人に積極的に歩み寄る姿を見れば、小太郎まで悪く言われかねない。
小太郎は友人が多いタイプだから知らないだろうが、人は簡単に手の平を返す。聖自身、過去に経験があることだ。
「似たようなこと爽にも聞かれたけどさ、全然平気。友達ぐらい自分で選ぶわ」
小太郎は聖の言葉をあっさりと否定した。強がりでもなんでもなく、彼は本当にどうでもいいと思っていそうな雰囲気だ。
まだロクな付き合いのない聖たちを“友達”と恥ずかしげもなく表現することも、いつのまにか爽を呼び捨てで呼んでいることも、聖を戸惑わせた。憎まれ口なら返し方は嫌というほど心得ているけれど、こんな時何を言ったら正解なのかが分からない。
黙って机に視線を戻しても、小太郎は気にせずに居座り続ける。単語帳をめくって暗記に勤しむ彼を横目にしてようやく、どことなく感じていた違和感の正体に気付いた。
試験前で部活動がないからか、彼がポロシャツやジャージではなく、珍しく上下ともに制服を纏っているのだ。
「ネクタイ結ぶの下手すぎない?」
「うん、めちゃくちゃ苦手。聖は綺麗だよな。今度教えて」
少し声を掛けただけで嬉しそうに飛びかかる勢いで返事をしてくる。聖のことも遠慮なしに呼び捨てるし、ネクタイの結び目まで平気で突いてくる。
パーソナルスペースへと無遠慮に踏み込まれたような気分にはなるが、まるで毒気のない笑顔を見ていると咎める気にならないのが不思議だ。
「やだ」
聖が断ると、残念そうに笑いながらもまた自習の姿勢に戻る。引き際をわきまえているところも、不愉快にならない要素なのかもしれない。
二泊三日、クラスメイトと同じ部屋で過ごすなんて耐え難いと思っていたけれど、小太郎ならば。
日に焼けた横顔を見ながら、聖はガラにもないことを考えた自分に気が付き、慌てて机に向き直るのだった。
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