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act.8月虹ワルツ<40>

寮の食堂に近づくにつれ、周囲に人が増えていく。普段は人気のない時間にしか現れない幸樹が居るだけでも注目を集めがちなのに、腕に葵を抱えているとあれば何事かと皆がざわつくのは避けられない。 普段よりも高い位置の視線を楽しんでいた葵も、悪目立ちしていることに気が付いたようで段々と恥ずかしそうに伏し目がちになってしまった。 「あの、上野先輩。そろそろ……」 「んー?席まで連れてったるって」 遠慮がちに下ろしてほしいと主張されたが、それを軽く受け流す。 始業式の一件から幸樹には敵意どころか殺意すら剥き出しにしてくる都古が、葵を奪いに来ないのだ。こんな珍しいチャンスを逃さず、出来るだけこの温もりを味わっていたい。 「お兄さんの膝の上にする?」 「それは、さすがに恥ずかしいです」 先に着いていた忍や奈央の姿を見つけ、彼らの元に近付きながらした提案は、葵から却下されてしまった。残念だけれど、ハナから叶うとは思っていなかった。 それに、こうして葵を抱えている姿を一般生徒に見せつけることで、今日顔を出した目的は十分に果たせた。 生徒会は葵にとって安全な囲いになっている。忍や櫻が睨みをきかせれば、大抵の生徒は押し黙るだろうし、奈央も温厚ではあるが規律に厳しい性格は知られている。わざわざ幸樹が出るまでもなく、彼らだけでも葵を守ってやれていると思っていた。 でも、尾崎や未里のように、生徒会が下す罰を恐れぬような輩には効力が薄い。時には暴力的な手段でねじ伏せる必要もある。だからこうして葵を可愛がっている様を見せつけておく。葵に何かあれば幸樹が出てくると、強く印象付けて損はない。 冬耶が在学中は、彼がその全ての役割を担っていたのだと思うと改めて偉大さに気付かされる。 「隣がいいです」 大勢で食事することには慣れていない。輪から外れて端の席に向かおうとすると、葵にしっかりと捕まってしまった。やはり葵の中では目を離せば消える人物と思われていそうだ。 「居なくならんて」 「でも、隣がいいです」 真っ直ぐに見上げられると弱い。逃がさないと言いたげに指を絡められたら幸樹の負けだ。聖や爽からは面と向かってずるいと文句を言われたけれど、忍や奈央は“観念しろ”という目で見てくる。彼らには、幸樹がこうして葵に翻弄される姿が面白く映っているようだ。 隣に並んだとて積極的に話に入るわけでもなかったけれど、時折確かめるように葵から視線を向けられ、ちょんとシャツを掴まれる。その仕草にどうしようもなく愛しさが込み上げる。そして、どれだけ不安にさせたのかを今更ながらに思い知るのだ。 あの夜逃げ出さず、葵が目覚めるまでずっと傍に居てやれば良かった。己の臆病さが嫌になる。あれだけ反省したというのに、この場に居ることも息苦しくなってくる。 でも葵をこれ以上裏切るわけにはいかない。一足先に食事を終えて手持ち無沙汰になった幸樹のほうから、近付いてきた小さな手を包み込んでやる。テーブルの下、誰にも見つからないようにそっと絡めた指先は、驚くほど温かく感じた。

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