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act.8月虹ワルツ<59>

「そういえば、お二人は三月まで同室だったんですよね」 「あぁ、寮生活が始まる中等部からずっとな」 当時からそれなりに会話する仲だったとはいえ、忍側に強い希望があったわけではない。忍はむしろ、潔癖で感情の起伏が激しい櫻と同室になることを面倒にも感じていた。 今以上に中性的で華奢だった当時の櫻と同室になりたがる同級生は少なくなかったのだから、彼らの中から適当に選べばいいと促しもした。だが、櫻は有無を言わさずに押し切ってきた。自分の身を守るための選択だと察してからは、受け入れてやりはしたものの、彼との生活は想定通り苦労が多く、何度後悔したか分からない。 「じゃあ五年間も一緒だったんですね。別々の部屋になるとき、寂しくなかったですか?」 櫻との関係性をちっとも理解していない様子の問いに、忍は思わず吹き出してしまいそうになった。清々することはあっても、寂しさなど感じたことはない。でも葵がなぜそんなことを聞きたがるか、理由は簡単に察しがつく。今の自分の状況と重ね合わせているのだろう。 「離れたと言っても、毎日のように顔を合わせているんだ。それこそ、休みの日まで。もう少し距離を置きたいぐらいだ」 「休みの日も一緒に過ごしてるんですか?」 葵はもうすっかり勉強への興味は削がれてしまったらしい。机に向いていた体を忍側に向け、さらに話を膨らませようとする視線を見せてくる。なぜ忍と櫻を葵基準での“仲良し”にしたいのかは不思議であるが、こんな他愛のないお喋りをする時間も悪くはない。 「いや、北条と月島の家は近い関係にある。だから今度の演奏会みたいな付き合いがそれなりにあるんだ」 「……演奏会は会長さんにとって嬉しい予定ではないんですか?」 正直に言えば、嬉しいわけがない。曲者揃いの月島家を相手に、北条家の人間として愛想を振りまくのは非常に疲れる。それに、櫻も月島家に囲まれた本番当日は、いつも以上に棘のある態度をとって、忍をより一層疲労させてくる。 前回の演奏会でのやりとりを思い出して苦い顔をしてしまうと、葵はそれだけで十分に答えを察したらしい。まるで自分のことのように悲しげな表情を浮かべてみせた。 「あんなに沢山練習してるのに。櫻先輩の演奏を楽しみにしてくれる人、いないんでしょうか」 「別にあいつのピアノが聴きたくないわけじゃないが」 あの場の空気感を葵に伝えるのは難しい。 忍は飽きるほど聴かされているせいで新鮮味を感じないだけだが、月島家の人間も、来賓も皆一番に注目しているのは櫻の存在。櫻に纏わる噂を知って好奇や侮蔑の目を向けたり、粗探しをしようと躍起になったりする輩ばかり。櫻がステージに立つ前に会場に満ちるのは大人たちの悪意。 弱みを見せまいと櫻が必死になるのも理解は出来る。あれほど捻くれた性格になったことも。

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