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act.8月虹ワルツ<60>

「お前みたいに純粋に楽しんでくれる相手がいれば、少しは救われるのかもしれないな」 目の前の葵を見ていると、自然と言葉が溢れてきた。櫻にとっては月島家の一員としてではなく、ただ親しい先輩として慕ってくれる葵の存在がどれほど貴重かは想像に難くない。 「……応援しに行けたらいいのに」 忍の発言を受けて、葵もそんな呟きを漏らした。本心からそう思っていることは、声のトーンから十分に察せられる。 葵を演奏会に連れて行くこと自体、不可能な話ではない。忍の連れとして同伴させれば済む話だ。それに櫻が葵に対し、自身のパーソナルな部分に踏み込むことを許し始めたことは明らか。今の彼なら自ら招待状を渡すことだってあり得る。 ただいくら本人同士が納得していたとしても、葵を悪意に満ちた場所へ連れて行くことには正直なところ反対だった。参加者は上品そうな笑顔を浮かべながら、櫻についての下世話な噂話を嬉々としてまくしたてるような者ばかり。忍ですら時折顔をしかめたくなるのだ。 「すまない、伝え方を間違えたな。毎日顔を出してやるだけで、十分あいつの励みになっているはずだ」 「でも櫻先輩がもっと辛い時、傍に居られないのが嫌だなって」 それらしい言葉で宥めようとしても、葵のもどかしさは収まらないようだ。膝の上に置いた手が、何かを堪えるように固く結ばれる。 “一緒に行こう” そう誘ってやれば済む話なのは分かっている。行き先がどうあれ、葵と共に出掛ける機会を得られることは忍にとっても嬉しい出来事ではある。こんなタイミングでなかったなら、喜んで誘いをかけていたとも思う。だが、今は己の願望よりも葵への心配が勝った。 「それなら葵、あいつへの贈り物を選んでくれないか?」 「……贈り物、ですか?」 浮かない顔をしたまま勉強に戻ろうとする葵に、忍は今思いつく最大限のフォローを口にした。 「毎回招待のお礼として月島家への土産は持参しているんだが、櫻個人に何かを渡すことはなかった。だからたまにはあいつの喜びそうなものを持って行ってやろうかと。どうだ?手伝ってくれるか?」 改めて尋ね直すと、すぐに力強い頷きが返ってきた。櫻好みのものが何か思案しはじめた表情は、先ほどとは打って変わって明るい。恋敵として複雑な感情が込み上げてくることは否めないが、笑顔を曇らせたまま帰らせるより余程マシだ。 完全な解決とはいかないが、少なくとも櫻に対しての気掛かりは薄れたらしい。だが、これでまずは試験に集中出来ればいいという忍の願いとは裏腹に、葵のノートには数式ではなく、櫻へのプレゼント候補が並びはじめてしまった。 「櫻先輩の好きなもの、こっそり探ってみますね」 どうやらあくまで本人には秘密裏に事を進める気らしい。櫻相手に葵がうまく立ち回れるかは疑問だが、やる気を削ぐのは可哀想だ。 「あぁ、頼りにしている」 忍の言葉で、葵はどこか満足げに微笑んで見せた。

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