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act.8月虹ワルツ<61>

* * * * * * 櫻の喜びそうなものを探る。任せてほしいと忍相手に言い切ったものの、それは案外難しいミッションだった。夕食を届けるついでに櫻の部屋を観察してみたけれど、得られたのは彼が気に入っている紅茶のブランドや、手のケアに使っているクリームの情報。 普段櫻が愛用しているものを贈ることは今回の意図に反する気がする。報告するために一応はメモに記録しておくが、このぐらいのことはずっと同室だった忍には不要な情報だろう。 「うーん……難しい、何がいいんだろ」 明日の試験に向けて勉強をしてみても、頭に浮かぶのは櫻のこと。重責を抱えて演奏会に挑む櫻を励ますためにはどうしたらいいか。解法が決まっている数学よりもよほど難解な問題に思えてくる。 「なに?会長に教わってきたんじゃねぇの?」 悩むのに疲れて机に突っ伏すなり、傍に居た京介がその様子に気付いて声を掛けてきた。葵が数学の問題に頭を抱えていると思ったようだ。 「今は櫻先輩へのプレゼント考えてるの。何あげたら喜んでもらえると思う?」 「知らねぇよ。つーか、あの人の誕生日、終わったばっかだろ」 京介は気遣わしげだった表情を一変させ、途端に興味なさそうに手元の携帯へと視線を戻してしまう。その態度と、櫻の誕生日を把握している事実が葵にはアンバランスに思えて面白く映る。 櫻の誕生日があと少し遅ければ同級生になれた。そんな“もしも”の話を口にしたことがあった。京介はそれを覚えていたのかもしれない。 「演奏会への差し入れ選ぶの手伝って欲しいって会長さんが」 「……お前さ、自分のことだけ考えろって昨日も言っただろ。つーか、飯届けんのも試験中ぐらいは断れよ」 毎回エレベーターまで付き添ってくれる都古にも似たようなことは言われた。でも葵が運ばなければ、きっと櫻は食事を取らずにピアノを弾き続ける。それを分かっていながら無視をすることは出来ない。 「集中って意味では、都古に負けてんじゃねぇの?」 そう言って京介はソファへと視線を投げた。そこには広げたノートをアイマスク代わりにして眠りこける都古の姿があった。葵と同じタイミングで勉強を始めたはずの彼は、いつのまにか睡魔に負けてしまったらしい。すっかり熟睡している様子の都古を見て、思わず頬が緩む。 京介の言う通り、今回都古はいつになく真面目に勉強に取り組んでいる。先輩たちから授けられたノートを手放すことなく、暇さえあれば目を通していた。櫻の部屋を訪ねる葵を待つ間も、彼はずっと勉強しているようだ。たしかに、葵よりもよほど集中出来ているのかもしれない。 「そういやあいつ、今日どうだったって?」 「試験のこと?いつもよりは出来たと思うって言ってたよ」 「ふーん。まぁいつもが酷すぎるんだけどな」 そっけない口ぶりだけれど、京介なりに都古を気にかけてくれているのかもしれない。

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