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act.8月虹ワルツ<66>

手の中に残ったのはカラフルなパッケージに包まれたスナック菓子。自ら選んで買うような類のものではないが、嫌いなわけでもない。しばらく悩んだ末に、爽は二人分のコーヒーを淹れて聖の部屋の扉をノックした。少しの間をあけて現れた聖は眉をひそめてはいたが機嫌の悪さは感じられない。 「……竹内、なんだって?」 客が来ていたことも、その相手が小太郎だったことも、兄は察していたようだ。自ら顔を出すことはなかったが、気になっていたのだとすぐに察する。用件を聞いてはくるものの、この様子ではやりとりも把握済みに違いない。でも盗み聞きを指摘すれば、それこそ機嫌を損ねるに決まっている。 「これ、差し入れだって。んで、試験に出るとこ教えに来た」 「ふーん、あいつ暇なの?」 爽からマグカップと菓子を受け取った聖の反応は素っ気ない。でも拒むような雰囲気は感じられなかった。 「ちょうどいいや。ちょっと休憩」 小太郎の好意を受け入れるわけではなく、あくまでタイミングの問題。そう言いたげに呟いた聖は、そのままリビングスペースのソファに腰を下ろした。自分も大概とは思うが、兄のほうが素直という言葉には遠い気がする。 爽は兄と違い、自室ではなくこのリビングで試験勉強を行なっていた。部屋に居るとギターが視界に入って、逆に集中出来ない気がしたからだ。でもどこに居ても結局は変わらなかったかもしれない。葵からの連絡を待っている状態では、事あるごとに携帯の通知を確認してしまう。 「先輩から連絡あった?」 テーブルの真ん中に置かれた携帯を見て尋ねてきたということは、聖も爽と同じように葵からの連絡を待っているのだろう。爽だけが抜け駆けしていないかをしっかり確かめてくるのは聖らしい。 「ないよ。聖は?」 「ない。また寝ちゃったのかな」 聖は昨夜のことを思い出して拗ねたような表情を浮かべた。 もしも勉強中に眠くなったら連絡をし合って眠気を覚まさせよう。葵とはそう約束をしていた。葵の勉強を邪魔せず、けれど繋がる方法がこれぐらいしか思いつかなかったのだ。葵は二人からの提案を快く承諾してくれて、早速昨日から実行されるはずだったのだけれど。 昨夜葵はいつのまにか眠ってしまっていたらしい。結局葵から返事が来たのは今朝のこと。もしかしたら同じ悲劇が繰り返されるかもしれない。 「……まぁそれも葵先輩らしいっちゃらしいけど」 今朝食堂で会うなり必死に謝ってくる姿も可愛かった。寝落ちした葵をベッドまで運んだのは京介だといい、それを不服そうに睨みつける都古の表情までがなんだか日常の一部のように受け取れた。 「そういや試験終わったら葵先輩、部屋移るんだよね。大丈夫なのかな」 少し前の自分ならば、強力なライバルである京介と都古、二人と葵が物理的な距離を置く状況を手放しで喜べたはず。でも今は違う。 より安全な場所に移動させたい気持ちは分かるが、あの二人から引き剥がすことこそ、今の葵にとっては危ない気がしてしまう。 「部屋が広くなるから楽しみだってはしゃいでたけど、強がりだろうね」 「だよな」 不安な気持ちは聖も同じらしい。カップを片手に、どこか遠い目をして息をついた。 葵にとっての上級生たちがそうであったように、爽たちにとって頼れる先輩として振る舞いたい。その想いは理解できるが、明らかな強がりを見過ごしてやるしか出来ない関係が歯痒くて仕方ない。

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