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act.8月虹ワルツ<67>
「どうして今なんだろ。いくら生徒会のフロアでも、一人にするほうが危なくない?」
「九夜さんから守るためとか?」
「でも西名先輩たちが一緒のほうが安全じゃない?」
九夜若葉という人物の噂は、学園で生活していれば嫌でも耳に入る。それに幸樹からも近付くなと釘を刺された。相当危険な男だということは承知しているが、京介も都古も一般の生徒よりは圧倒的に喧嘩が強いはずだ。二人の傍に居たほうが葵の身は守られる気がする。
「さぁ、俺には冬耶さんが考えてることなんて分かんないよ」
爽の疑問を受けて、聖は肩をすくめてみせた。葵を何よりも大切にし、傷つけるような選択肢を徹底的に避けそうな冬耶が、引っ越しを勧めているなんて意外な話だった。
今まで特例を許していたのなら、せめてもう少し猶予を与えてやってもいいのではないか。事情は分からずとも、引越しのタイミングとして今がふさわしくないことぐらい、爽にだって簡単に分かる。それでも冬耶が勧めるには、それ相応の理由があるのだろう。
全てを話してくれたと思っていたけれど、彼はまだ爽たちに隠していることがあるのかもしれない。
「これ以上何も起きなきゃいいけど」
捻挫は日に日に良くなっているようで、歩き方も自然になってきた。爽にはいつだって笑顔を向けてくれる。でも葵の身に起きたこと、置かれている状況を考えれば、無理をしているに決まっている。
平穏な生活を送ってほしい。その気持ちの強さは、葵との付き合いが長いライバルたちに負ける気がしなかった。
「……聖?どうしたの?」
爽のぼやきを受け、聖は険しい顔つきになった。声を掛けるとすぐにその表情は消えたけれど、妙に引っ掛かりを感じる。
小休憩を終えるにはいい頃合いだけれど、この流れでカップに残ったコーヒーを一気に飲み干し、席を立つ仕草は、爽に詮索されるのを避けるような行動に思えてしまう。
葵の過去を聞いた日のやりとりを思い出す。あの時も聖の様子はおかしかった。何か自分に隠し事をしているのだとは思う。追いかけて問いただすことは簡単だが、ああなった聖が簡単に胸の内を晒してくるはずもない。逆に意固地にさせる可能性のほうが高かった。似た性格だからこそ、よく分かる。
「隠すんなら徹底的に隠せよ。俳優になんだろ」
聖の姿が扉の向こうへと完全に消えてから、爽は小さく嫌味を零した。中途半端に不穏な空気を感じさせないでほしい。気になって仕方がない。
今日の試験の合計点は、聖のほうが僅かに高かった。あくまで自己採点ではあるが、この調子では明日も彼に負けてしまうかもしれない。二人で上位に入ることが目標ではあるが、当然聖にも勝ちたいとは思っている。
「あぁ、ムカつく」
不安材料を与えてくる兄も、彼にいつも数点及ばない自分にも腹が立つ。せめて葵から何か連絡があれば気分が浮上するのだが、それもない。
なんの通知も表示されていない携帯のディスプレイを眺めながら、爽は大袈裟なくらい大きく深呼吸をして無理やり気持ちを落ち着かせるのだった。
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