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act.8月虹ワルツ<69>
「すみません、本題に入る前に時間使っちゃって」
高校を卒業したばかりの冬耶にとって、他校の卒業アルバムは興味を引くものだったのかもしれない。一通り楽しげに目を通していた冬耶は、不意に我に返って謝罪を口にした。
話したいことがあると言って今夜冬耶を招いたのは宮岡だが、すでに概要は簡単に伝えてある。だからこそ、冬耶は穂高の昔の姿に触れたくなったのだとも感じる。
冬耶は元あった場所にアルバムを戻すと、宮岡へと向き直った。
「それで、本当に穂高くんと篠田さんは海外に?」
「まだ正式に通達されたわけではないようです。ただ、今年の秋入学を目指すなら早めに準備を、とは言われているみたいで」
穂高からそれを聞いた時は、柄にもなく大きな声を上げて驚いてしまった。
ようやく葵が穂高の存在を思い出し始めている。そんな時に何故また引き離されなくてはならないのか。あまりにも理不尽に思えてしまうが、当の本人はそれも一つの答えなのかも、と受け入れる素振りを見せていた。
馨を野放しにすることへの不安はあれど、当主の望み通り椿を育てれば、葵を藤沢家から解放する糸口になるかもしれない、と。
「藤沢がアキを手放すとも思えないけどね」
「馨さんは反対してるってことですか?穂高くんを遠ざけたいのかと思ってました」
宮岡との内通がバレたことは伝えてある。冬耶がそう感じるのも自然なことだろう。
だが、宮岡の考えは違う。実際、当主である柾は馨の目を盗むように海外行きの話を持ちかけたというし、おそらく馨はまだその話を知らないはずだ。
「藤沢にとってアキはただの秘書ではありません。葵くんが生まれてからずっと、十六年間も傍に置き続けている存在だ。あの気まぐれな男がね」
穂高は自分の意志で馨の元に居ると認識しているが、宮岡の目からは雁字搦めにされ、囚われているようにしか見えない。
馨の身の回りの世話をする従者は穂高の他にも存在する。だが皆長続きしないのだと聞いたことがあった。だからいつまでも穂高の負担が減らないらしい。穂高自身は葵を置き去りにしたことへの罰だと解釈しているのだから、ますます救われない方向に進んでしまっている。
「そういえば穂高くんの家族ってどうしてるんですか?」
「彼は自分のことを話したがらないから、私もよく知らないんです。ただ彼の生家は藤沢家の敷地内にあることは知っています。だからアキがああなったのも、仕方ない話なのかもしれませんね」
時代錯誤もいいところだが、秋吉家は代々藤沢家に付き従い、尽くす家柄らしい。まだ親の庇護下に置かれるべき年齢の息子を馨に差し出せるのだから、その忠誠心は大したものだと思う。
「穂高くんの存在は当時のあーちゃんにとって支えだったと思います。でも穂高くん自身の幸せを考えたら、少し複雑な気持ちにもなりますね」
宮岡の話で、冬耶はテーブル上のカップへと視線を落とした。
藤沢家の駒となり、酷使されるだけの穂高を気遣ってくれる存在がいる。それだけで宮岡は安堵してしまう。そのぐらい彼の日々には孤独が影を落としている。
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