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act.8月虹ワルツ<78>

「あの子に何をした?」 掴み掛かる勢いで戻ってきた奈央は、若葉相手に躊躇いもなく凄んでくる。返り討ちに遭うことも恐れず立ち向かってくるとは。彼にとって葵が特別な存在である証明に他ならない。未里があれほど葵を敵視するわけだと、妙に納得してしまう。 「“あなたには関係ありません”」 奈央からぶつけられたばかりの台詞をそっくりそのまま返してやると、学園の王子らしからぬ舌打ちを残し、奈央はその場を走り去っていった。 「あれじゃあ未里チャン、勝ち目ないじゃん。可哀想に」 全く望みのない片思いを続けた挙句、妬みのあまり馬鹿なことをしでかした未里。哀れで愚かな生き物。だが若葉にとってはそれなりに優良な搾取対象だ。たまには彼を労ってやってもいいだろう。 “奈央サマと遊びたい?” 以前も冗談混じりに彼に持ちかけた話。未里にメッセージを送ってみると、すぐに既読のサインが灯る。あの時未里は奈央を庇うようなことを口にはしたけれど、期待は隠しきれていなかった。今も同じ顔をしているのが目に浮かぶ。 一ノ瀬の事件を起こしたのが未里であることが冬耶や生徒会にバレるのは時間の問題。未里を経由して彼の親から引っ張れる金にも限度がある。未里があらゆる面で終わりを迎える前に、一度ぐらい夢を見させてやろうか。 「俺って親切だと思わない?」 「……さぁ、思ったことはありませんね」 いつも通り車で迎えに来た側近に同意を求めると、わざとらしく首を傾げられた。こんな可愛げのない部下をいつまでも雇い続けているだけで十分親切なのにおかしな話だ。 若葉が後部座席に寝転がったのを合図に、車がゆっくりと発進する。 「お嫌いではなかったですか?」 バックミラー越しにこちらの様子をチラリと覗ってきた徹が不思議そうに尋ねてくる。若葉が手にしたままのネクタイを指しているようだ。 たしかに首元が締まる服装は窮屈で好きではない。スーツの着用が必要な場に呼び出されても直前までネクタイは締めないし、解放されるなりすぐに外しては徹に投げつけてきたのだ。言葉にしなくても徹は嫌というほど理解しているのだろう。 「これ葵チャンの。預かってきちゃった」 「おや、会われたんですね。私は呼ばれていませんが?」 「ハッ、まだ混ざる気でいんの?」 ネクタイの持ち主を知って不服そうな徹の態度に思わず吹き出してしまう。若葉の遊びに付き合うこと自体珍しかったが、こんな風に執着を見せることも貴重なように思う。 「ああいうの好きなの?ラリってないとだいぶガキくさかったヨ」 「ならまた与えればいいんじゃないですか?」 徹は冷静に運転を続けながら事もなげに言ってみせる。こんな時彼が若葉以上にイカれているのではないかと思う。 「お前やっぱやべぇな。いたいけな高校生相手に何しようとしてんの」 「若に言われたくありません。で、よかったんですか?」 若葉が葵を抱いたと疑わず、感想を聞いてくるところもぶっ飛んでいる。 「ナイショ」 今日あった出来事を全て話す必要はない。はぐらかすと、徹はますますつまらなそうな顔になった。

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