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act.8月虹ワルツ<81>
* * * * * *
いつもなら一緒に入りたいとごねるというのに、今夜は一人で、と都古は言い張った。その理由が今目の前に広がる痣のせいだと覚悟はしていたけれど、いざ対峙すると動揺は隠せない。
「だから、ね?」
「ううん、一緒に入る」
都古は視線を避けるように浴衣の衿を正そうとするが、葵はそれを止めた。本当は身動きをとるだけで辛いはずだ。そんな都古を一人で浴室に送り出すのは心配で堪らない。だから一緒にと強引に誘ったのだ。
「今日はみゃーちゃんの髪も体も洗うから、任せてね」
葵に全て委ねてほしい。そう告げると、都古は少し困ったような顔で頷いた。都古のほうから甘えてねだってくることの多い行為なのだから、嫌なわけではないと思う。こんな時にだけ遠慮しているのかもしれない。
初めて彼の長い髪を洗った時には、自分のものとは勝手が違い過ぎて戸惑ったけれど、そろそろ慣れてきた。初めは体が冷え切るぐらい掛かってしまった時間も、都古ほどではないにしろ大分短縮できるようにもなったと思う。
「みゃーちゃん見て。猫耳ついたよ」
こうして泡で遊ぶ余裕すら出来た。泡で作った仮初の耳を乗せて呼び掛ければ、瞼を薄く開いた都古が鏡越しに笑いかけてくる。こうして彼の穏やかな表情を見ることが出来るだけで泣きたくなるほど安堵する。
濡れた髪を一つに括るのはまだ下手だけれど、都古は不恰好な形でも嬉しそうにする。葵が与えるものなら無条件で受け入れる姿勢は、葵を時折不安にもさせた。
「傷に染みてない?」
「うん、平気」
擦り傷や切り傷ではなく、打撲による痣なのだから、これはきっと強がりではないのだと思う。でもせっかく以前の喧嘩で負った傷が目立たなくなってきたというのに、肌に新たに浮かんだ青紫色の痣は痛々しくて堪らない。
「あとは、やる」
葵が傷から視線を外せずにいると、都古からはあっさりとシャワーヘッドを奪われてしまった。
揉め事に巻き込んでしまったのだから、葵を怒ってくれてもいい。せめて無理をせずに頼って欲しいのだけれど、都古は一度だって“痛い”とも“辛い”とも言わない。いつも通りの顔で葵に接してくる。
飼い主らしく“命令”したら素直に話してくれるだろうか。そんなことすら考えてしまうけれど、葵はすぐにそれを否定する。相手に心配をかけまいと強がる行為は葵自身、身に覚えがありすぎる。
都古の姿がいつかの自分に重なる経験はこれが初めてではない。そのたびに、葵は周りで支えてくれる人たちの気持ちを少しずつ理解できていくような気がする。
「……みゃーちゃん」
葵とはまるで違う、細身だけれど筋肉質で引き締まった身体。その肌を泡が流れ落ちていく様を見つめながら、思わず呼びかけてしまう。すると返事の代わりに都古は指についた泡を葵の鼻先にちょんと乗せてくる。彼のこんな悪戯っぽい仕草にすら、胸がぎゅっと締め付けられる思いがした。
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