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act.8月虹ワルツ<83>

「お兄ちゃんも怪我しちゃったらどうしよう。大丈夫かな」 葵の代わりに若葉と話をしてくれるという冬耶のことも、心配になってきた。冬耶まで巻き込んでしまうなら、自分一人で若葉の元に向かったほうがいい気さえする。でも都古は葵の不安を打ち払うように笑った。 「あの人は、平気」 「どうして?」 京介と違って、冬耶が誰かと喧嘩をしたなんて話は聞いたことがない。運動神経が良いことは知っているが、絵が上手で賢い兄の印象が強い。 「お兄ちゃんなら話し合いで解決できるってこと?」 「あぁ……まぁ、そう。うん」 自分なりに納得のいく着地点を見つけたのだけれど、都古の返事は歯切れが悪い。もしかしたら兄には葵の知らない一面があるのかもしれない。都古がそれを知っていて葵は知らない。その状況が少し寂しい気持ちにさせる。 「そろそろ、上がる?」 火照っていることを示すように都古が頬を突きながら、尋ねてくる。でも葵はその誘いに首を横に振って答えた。もう一つ、都古と話してみたいことがあったのだ。 でもそれを言葉で表現するのは難しかった。若葉が屋上でしていた行為。その正体を知りたいなんて。 ほんの一瞬覗き見た光景は、あまりにも衝撃すぎて瞼に焼きついている。若葉にのし掛かられた生徒が何で身体を貫かれていたのか。嗚咽まじりの啜り泣きが聞こえたから、あれはきっと暴力的な行為の一種なのだろう。一ノ瀬がしたかった“お仕置き”もそう。 その上で確認したかった。都古や京介が我慢していると表現しているものが、同じかどうかを。 宮岡からは感情が伴わないまま与えられる“好きの印”はただの暴力だと教わった。好きな相手との触れ合いなら、素直に受け入れていいのだとも解釈した。だから都古たちが一ノ瀬の記憶を上書きするように触れてくれたことに戸惑いはしたけれど、受け入れることが出来た。 彼らへの好意を伝えるために、葵からも触れたいとも思えるようになってきた。彼らが望むことなら何だってして構わないなんて気軽に口にしたこともあった。 だが、もしもあれを期待されているのなら自分には到底無理だと思う。怖気付いたというのが正直なところ。そもそもなぜ彼らがあれを望むのかも分からない。 「アオ?全部、聞くよ」 葵が何に悩んでいるのか、都古は見透かしているのかもしれない。一度は浮かしかけた肩をもう一度湯に沈め、葵に付き合う姿勢を見せてくれる。でもやはり切り出し方が難しい。拒むことで彼を悲しませることもしたくない。 「あ……えっと、また、付けてもいいかなって。好きの、印」 苦し紛れに発した提案は、想定外だったようだ。都古は目を丸くして見つめ返してくる。 「なんで、そうなった?」 都古が葵の思考回路に疑問を持つのも仕方ない。でも他に都古が望むもので、葵がしてあげられるような行為を考えたらそこに行き着いた。それで葵の想いが伝わり、都古の気持ちが満たされてほしいと思う。 「無理、してる?」 「ううん、してない」 嘘ではない。彼がいつも愛情を与えてくれるように、葵からも好意を伝えたいと願う気持ちは本心から。 都古は少し悩む素振りを見せた後、掴んだままだった葵の手をさらに強く引いてくる。狭い浴槽の中で引き寄せられると、当然彼に乗り上げるような姿勢を取らなくてはならない。 入浴剤のおかげで少しとろみのある湯の感触。それを纏った素肌同士が擦れ合うと妙に気恥ずかしい気持ちにさせられる。 「沢山?ご褒美?」 さっきまでとはがらりと変わった声のトーン。耳元で囁かれると、自然と体が震える感覚に襲われた。怖いわけではない。このモードになった都古と重ねた時間が一気に蘇ってくるせいだ。 葵から言い出したこと。今更あとには引けずに頷くと、都古は意外にもこのまま求めてくるのではなく、浴室を出ることを提案してきた。理由を尋ねると、“のぼせるから”と返ってくる。彼の中では、葵が想定するよりも長い時間を欲しがるつもりなのかもしれない。

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