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act.8月虹ワルツ<85>
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寮全体の明かりが落とされる時間の訪れを待って現れた客人。目深に被ったキャップも、口元を覆うマスクも、正体を偽るための小細工のつもりなのだろう。だが、纏うオーラは隠しきれない。
「それ、あんま意味ないと思いますけど」
「大丈夫、あーちゃんの目さえ誤魔化せればいいから」
なるほど、あの子ならこの下手な変装にも騙されてくれそうだ。冬耶の言葉で、幸樹は納得してしまう。それに、葵が今自室で眠りについていることは京介からの連絡で確認済み。あくまで万が一の保険なのだろう。
冬耶がわざわざこんな時間に寮までやってきたのは、日中起こった事件の処理に他ならない。生憎若葉はあのあと早々に学園の敷地を出てしまったようで捕まえることはできなかったが、冬耶は直々に彼の部屋を確認しておきたいと言ってきたのだ。
「荷物、結構増えてるな」
部屋に入るなり鬱陶しげにキャップとマスクを外した冬耶は、すぐに自分が卒業する前との差に気がついたようだ。
寮生活を送る生徒の部屋にしては寂しすぎる状態ではあるものの、ラックには衣服が何着か揃っているし、スニーカーも並べられている。そのラインナップは彼が一軍として扱っていそうなものばかり。拠点の一つとして捉えているのだと伺える。
「生徒会長としての働きを評価してもらうことは多かったけど、こいつを追い出せなかった時点で台無しだよな」
ベッドサイドには若葉が好んでいる銘柄の煙草がカートンで転がっている。それを手に取った冬耶は、苦々しく吐き出した。
若葉を退学させるために冬耶がどれほど手を尽くしていたかは、前年度から役員だった幸樹はよく知っている。この春で卒業するように見せかけ、冬耶を欺いたことも。
この部屋の荷物を撤収して完全に出ていくものだと油断させたところで、留年と謹慎の処分が下る事件を巻き起こしてみせた。冬耶は謹慎はともかく、留年を望んでいたわけではない。もう一年学園に居座らせることを断固として避けたがっていた。
だが、学園の理事達を掌握した若葉の立ち回りの方が、この件に関しては一枚上手だった。
「はるちゃんに怪我させた時に徹底的に潰しておくべきだったんだよな」
「俺が止めんかったら、どっちか死んでましたって」
長年いがみ合っているわりに、若葉と冬耶が実際に拳を交えた機会は多くはない。直接ぶつかればどうなるかを互いが理解しているからだ。
そのなかでも一際激しく争ったのが、彼の言う遥の事件が起きた時。怒りで完全に冷静さを失った冬耶を押さえるのには相当苦労させられた。どちらかといえば若葉が劣勢だったように見えたが、その屈辱が彼をより意固地にさせてしまったのかもしれない。
冬耶のことなどどうでもいい。そんなスタンスを取ってはいるが、間違いなく意識はしているはずだ。
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