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act.8月虹ワルツ<89>
「なぁ、オリエン終わったらまたデート誘おうよ」
「そんな暇あんの?」
葵たちと別れて教室に向かう道すがらした提案は、爽に冷たくあしらわれる。葵とのデートなんて願ってもないことのはずなのに、気が立っているらしい。爽よりも先に葵に抱きついたことだけを拗ねているわけではない。
初日も、そして二日目も、自己採点での試験結果が聖に負けているからだろう。ほんの数点差。大した違いはないが、役員入りの願いを果たすためにこれまで以上に努力している爽が苛立つのも分かる。でも聖だって同じ願いのために気合いを入れて臨んでいるのだ。競るのは当たり前だと思う。
「仕事、忙しくなるんだろ?」
重ねるように投げかけられた質問で、爽が聖の仕事ぶりに対しても何かしら思うところがあるのだと分かる。
聖の挑戦を応援してくれてはいる。だが、聖が何かを隠していると察して、拗ねてもいるのだと思う。
馨との面会時にオファーされた仕事の話。葵と二人での撮影企画は、あの場で聖を揺さぶるための方便ではなく、どうやら彼が本気で考えているものらしい。
あれから聖の元には、馨から直接撮影のコンセプトが送られてきていた。返信はしていない。
以前会った時にはまだ、葵の過去の話を聞いてはいない状態だった。だから馨が葵にとってどんな存在なのか、善悪が判断しきれなかった。でも今は違う。
葵に偏った愛情を注ぎ、人格を否定するような育て方をした父親。一度は手放した息子を再び捕らえようとしている彼に対して、もう好意的な感情を抱けそうもない。
「またその顔。しんどい仕事でも振られてるわけ?」
「違う。けど、爽に言ったら絶対笑うから言わない」
爽相手に誤魔化し続けるのは限界がある。だから聖は相棒相手に一芝居打つことにした。
「え、何?俺が笑うようなこと?」
聖の返しが意外だったようで、爽は素直に驚いた顔をしてみせた。余計に知りたがるのは百も承知の上。乞われ続けて躊躇う素振りを見せると、彼は“笑わない”と誓ってきた。だから聖は彼を人気のない外階段へと連れ出し、降参の態度を示す。
「オーディション、コネで合格決まってた」
「……は?なにそれ、聖の実力はどうでも良かったってこと?」
嘘をつくときは真実を混ぜるといいとはよく言ったものだ。馨のことではなくもう一つ爽に黙っていた話を伝えると、彼はすんなりと受け入れてくれた。この話だって出来れば爽に聞かせたくはなかったのだから、より信憑性が高まったのだと思う。
「顔と話題性があればいいんだって。最初から期待してないから、下手くそでもいいって言われちゃった」
普段はほとんど人通りがないせいか、外階段にはグラウンドから吹き込んだ土埃が溜まっている。聖は爽からの視線を避けるように、制服が汚れることも気にせず手すりに寄りかかった。
オーディションに向けて準備をしていた姿は爽が一番近くで見守ってくれていた。台本読みの相手をさせたこともある。だから彼の目には今、努力を無碍にされて傷ついた兄が映っているはずだ。
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