1192 / 1636

act.8月虹ワルツ<90>

「俺がそれ笑うと思った?誰が言ったか知らないけど、見返せばいいじゃん」 聖ほどは捻くれず、素直な弟。落ち込む聖を励ますような言葉を届けてくれる。罪悪感が湧かないといえば嘘になるけれど、それ以上に爽を巻き込みたくない気持ちが強かった。 馨からの誘いを秘密にし、一人で勝手に行動したことは聖の責任だ。それによって馨に妙な絡まれ方をされていることも。 「母さんに会ってほしくなさそうだったのも、そういうこと?コネの話関係してる?」 「……まぁ、そんなとこ」 爽が都合よく解釈してくれたことにも気まずそうな表情で頷いてみた。オーディションで本領が発揮できなかっただけで、自分はなかなかに演技の才能があるのかもしれない。 「だから時々難しい顔してたのか」 「どんな顔?」 自覚がなかったとばかりに尋ねてみれば、爽は眉間に皺を寄せて険しい表情を浮かべた。生まれた時から見慣れているとはいえ、同じ顔が目の前にあるうえに、自分の真似をしているなんて妙な気分になる。 演技ではなく自然と口元が緩む。それを見た爽もつられるように笑顔になった。 「あぁ、見つけた!」 兄弟水入らずの時間を妨げたのは、乱暴に開かれた扉の音と最近ではお馴染みになってきた声。 「何やってんの?試験始まるよ」 予鈴が鳴っても教室に姿を見せない二人を心配して、わざわざ探してくれる同級生など一人しかいない。聖たちを探すよりも、寝癖で思い切り跳ね上がった前髪を直すべきだと思う。 「どうやったらそんな寝癖つくの?」 爽も聖と同じところが気になったらしい。共に教室へと向かいながら、爽は小太郎の頭に手を伸ばし、寝癖を指摘し始めた。 「昨日ベッドで英単語覚えてたらいつのまにか寝てたっぽくてさ。朝起きたらここに単語帳引っかかってた」 「マジで?」 「ほら、記念に写真撮っておいた」 聖も二人のやりとりに混ざろうとした矢先、ポケットの中で携帯が震えるのを感じて一歩後ろへと下がる。幸い、小太郎が差し出した画面を覗き込んで笑い出した爽は、聖の様子に気が付いていない。 “連絡待ってるよ” それは馨からの催促だった。聖が反応を見せずにいるせいで、焦れたのかもしれない。でも聖は通知だけ確認して、もう一度携帯を仕舞い込んだ。 「なぁ、本当にさっき言ってたことだけ?」 少し遅れて教室に辿り着いた聖を待ち構えていたのは爽。さすがに完全に疑惑が取り払えたわけではないようだ。 「他に何があんの?」 呆れた顔を浮かべると、爽はそれ以上問い詰めてはこなかった。 馨からの連絡はメッセージだったというのに、頭の中では低すぎない甘みのある声が響き続けている。 あの人は一体何を企んでいて、聖をどんな風に巻き込もうとしているのか。そんなことを考えることこそ彼の思惑通りだと分かっているのに、馨の声は簡単には振り払えそうになかった。

ともだちにシェアしよう!