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act.8月虹ワルツ<94>
「……親しかった、ね。どうだろう。あいつ、何にも喋んなかったし」
椿は冬耶が滲ませる怒りよりも、二人の関係を示す言葉が気になったようだ。どこか遠い目をして、再び窓の外に視線が向く。
葵がどんな状態で施設に入所したかは分からない。でも施設から西名家に引き取った時のことは覚えている。出会った頃以上に痩せ細り、言葉も表情も失っていた。
「全部忘れてんだろ?」
「幼い頃の記憶はほとんど曖昧な状態です」
施設での出来事を思い出したことはない。そう言ってしまえば椿の逆鱗に触れる気がして、冬耶はぼかすような形で答えた。嘘ではない。
「それをあーちゃんに確かめたかったんですか?」
椿の思いには共感できる部分もある。だがそのやり方は到底賛成できるものではない。葵から預かった写真をテーブルに出せば、ようやく椿の視線がこちらに戻った。
「篠田さんのことを思い出させたいのなら、こんな方法は間違っていると思います」
葵の中で一番大きな傷になっている母親と弟の死。写真の裏面には、それを直接示唆する言葉が書かれている。この一言が葵をどれほど悲しませたか、椿は理解しているのだろうか。
「何もかも忘れて、能天気な顔して笑ってんのがムカついたんだよ」
椿からすれば、ただ苛立ちをぶつけるために些細な嫌がらせをしたつもりだったのかもしれない。それほど悪びれていない口調からも、この写真によって何を引き起こしたのか知らない様子だ。
「この写真を受け取ったあーちゃんは二人の死を償うつもりで湖に飛び込みました」
「……は?飛び込んだ?」
「下手したらあの子はそのまま亡くなっていたんです。篠田さんだけのせいとは言いません。でも、きっかけの一つになったのは事実です。それだけあーちゃんを追い詰めたということは理解して下さい」
やはり椿は歓迎会中に起こったことを知らなかったらしい。それまで一定のテンションを保っていた椿が初めて動揺を見せた。
「忘れているわけじゃないんです。辛すぎる記憶に蓋をしているだけ。そうでもしないと、あの子は日常生活なんて送れません」
「つまり、そのまま蓋閉じたままにさせろって?忘れてるってことは、俺とのこともあいつん中では辛い記憶。そう言いたいわけ?」
椿とは極力争わずに話し合うつもりでいた。だが、慎重に話したつもりでも椿の神経を逆撫でてしまったらしい。冬耶の言うこと全てに突っかかってきそうな勢いでは、平和的な会話はもう無理かもしれない。それでも、せっかく得た機会をこのまま潰すわけにはいかなかった。
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