1199 / 1636

act.8月虹ワルツ<97>

* * * * * * “寝ない”と言い張っていたわりに、布団を掛けてやってからものの数分で寝息を立て始めた愛猫。試験をきちんと受けた上、食堂での昼食にも付き合ってくれた。蓄積された疲労と、食後に飲んだ鎮痛剤の副作用であっという間に眠気が訪れたようだ。 「都古くん、もう寝たの?」 「うん、やっぱり無理してたみたい。しばらく起きないかも」 少し離れた場所で成り行きを見守っていた七瀬は、都古が眠りに落ちるのを見届けてからこちらへと近づいてきた。葵よりも小さな体は、背後から覆い被さってきても重いとは思わない。 「寝顔は可愛いね」 「みゃーちゃんはいっつも可愛いよ?」 「それ、葵ちゃんに対してだけだよ。七には全然可愛くないもん」 いつもの仕返しとばかりに七瀬は都古の白い額を指で突く。短い眉が不快そうにひそめられたが、目を覚ますことはなかった。 二人は日常的に小さな諍いを起こしている。京介や綾瀬がいれば簡単に治めてくれるのだけれど、葵だけではうまく仲裁出来ないことも多い。 けれど、七瀬は都古を友達として認識しているし、都古も七瀬を拒絶はしない。都古が複数を相手に喧嘩をした時も、七瀬が共に居たのだと聞いた。いつもなら試験終わりに帰宅する七瀬がこうして昼食だけでなく寮にまで付き合ってくれる理由も、怪我をした都古を心配してくれたからなのかもしれない。 「葵ちゃんはお昼寝しなくていーの?寝不足なんじゃない?」 七瀬は葵にぎゅっと腕を回しながら、顔を覗き込んでくる。 確かに昨夜はなかなか寝付けなかった。都古の怪我が心配だったのもあるが、彼に“好きの印”を与えてから、火照りがちっとも引かなかった。 おまけに、都古が今のように深い眠りにつくなり、京介が何度もキスを仕掛けてきた。おまじないではなく、葵に熱を灯すようなキス。思い出すだけでまたあの時の感覚がぶり返してきそうだ。 「大丈夫、眠くないよ。せっかく綾くんも来てくれたし、沢山勉強したい」 「えぇー、もうちょっと休憩しようよ」 立ち上がる素振りを見せると、七瀬はグッと体重を掛けて押し留めてくる。苦しさは感じないけれど、小柄ながらパワフルな七瀬を振り払う力は葵にはない。 「七にまた相談したいことあるんじゃないかなーって思って来たのに」 「相談?」 「うん、二人で話したいこと。ない?」 心当たりはある。でもうまく言葉にして表現出来るかが不安だった。それに眠っているとはいえ、目の前には悩みの種の一人である都古がいる。扉の向こうには京介も。 「ベランダ行こっか」 視線の動きで何を気掛かりに思っているのか理解した様子の七瀬は、葵の手を引いて窓辺まで導いた。窓の外は霧のような雨が降り出していた。最近の雨雲は随分気まぐれで、天気予報はなかなか当たらない。 「髪の毛濡れちゃうかもよ」 「平気、今更だもん。湿気があるだけでもう全然ダメ」 七瀬の髪は、雨が降るとより一層くるくるとうねり出す。葵から見れば可愛らしいそれは、七瀬にとっては厄介らしい。だから雨は苦手だと言っていたことを思い出して助言してみるも、彼は気にせずに窓を開けた。 靴下のまま躊躇いなくベランダに出た七瀬に倣い、葵も後を追う。

ともだちにシェアしよう!