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act.8月虹ワルツ<104>

「あぁ、でも事前にフィッティングの時間も設けたほうがいいよね。葵の体にぴったり合うかチェックしないと。サイズを直接計り直す必要もあるかもしれないね」 そう言いながら馨は意味ありげに穂高の纏うスーツを指先でなぞってみせる。艶っぽい視線とその仕草で、馨が何を示唆したいのか想像はつく。性的な行為を連想させて、穂高の動揺を煽りたいのだろう。 「私にはそのような心得はございません。専門の方をお呼びいたします」 「穂高は何でも出来るでしょう?それに、私はむやみに葵の身体を他人に見せたくないし、触らせたくもない。穂高だけ、特別だよ」 そう言って馨は自分よりも背の高い彼の頭を撫でて、また元いた場所へと戻っていく。馨にとっては、葵だけでなく穂高も玩具の一つのようだ。 穂高を庇いたいわけではないが、馨をこのまま機嫌良く遊ばせておくのは気分が悪い。 「葵の身体なんて散々穢されてるのに、今更勿体ぶるものなの?もう馨さんの綺麗なお人形じゃないよ」 つい最近葵の身に起こったことがどの程度のものかは結局分からずじまいだが、暴行を受けたことは間違いない。それに、家族と言い張って葵を囲っている兄弟も、共に学園生活を送る生徒たちも、葵に特別な好意を抱いている様子だ。 「他人の手垢がべったりついた葵を、馨さんは可愛がれるの?」 馨の嫌がりそうな表現を重ねれば、彼の顔から笑みが消えた。だが、感情的に椿に言い返してくるような真似はしない。 その代わり、馨は一枚のイラストを手に取った。 「葵をこんな風に仕舞っておけたらよかったのに」 彼が手にしたのは、デザインの参考として持ち込まれた優美な鳥籠のイラスト。馨は葵を人形や小鳥と表現することが多い。どちらにせよ自分の意思で自由に動いたり羽ばたいたり出来ない存在という意味なのだろう。 「羽根をもぐだけじゃ足りない。鍵を掛けて閉じ込めて、空なんて見せずに、ずっとこのまま」 どこかうっとりとした口調でイラストに描かれた青い小鳥をなぞり始める馨には、狂気じみたものを感じざるをえない。 「大丈夫、真っ白になるまで洗って綺麗にするから。そうしたら次はもう手放さないよ」 それは椿が投げかけた問いへの答えだった。馨が再び微笑みを取り戻すのと引き換えに、穂高の顔色が一段悪くなる。それでも秘書の顔は崩さずに手を動かし続けるのは彼のプロ意識からなのだろうか。 「椿もいい子にしていたら葵に会わせてあげる」 あくまで全ての物事の決定権は馨にある。そんな宣言のような言葉だった。生まれた時から彼の元で愛された葵が壊れるのも無理はない。絡みつくような甘い視線と声音に、椿まで頭がおかしくなりそうだ。 「俺が葵に会うのにどうして馨さんの許可がいるの」 少し前に冬耶に向けて吐き出したのと同じ疑問。椿は紛れもなく葵の兄だというのに、誰もが椿を軽んじている。 「だって葵は私のものだから」 それは絶対に覆らない事実。そう言いたげに、馨はその日一番美しく笑いかけてくるのだった。

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