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act.8月虹ワルツ<109>
「葵?どった?」
京介にとっては今日初めて告げた想いではない。むしろ散々伝えてきたつもりだ。だから今更照れるようなこともないのだけれど、葵は耳だけでなく頬を赤くしていた。
「どうしたらいいの?」
「どうって別に。今何かが変わったわけでもねぇしな」
葵が京介と同じ熱量の愛情を芽生えさせてくれるなんて都合の良すぎる展開を期待するほど、楽観的ではない。
「京ちゃんの特別って、一人?」
葵はその存在が自分だとはっきり口に出すことはなかった。こんな質問をしてくるぐらいだから、やはり葵の中で“特別”の意味が確立されていないことは明らか。
「他に誰がいんだよ」
「誰って……お兄ちゃん、とか?」
「あー、そうだよな。そううまくはいかねぇよな、やっぱ」
「じゃあ、上野先輩?」
的外れすぎる回答は、いくら期待していないとはいえ、京介を落胆させるには十分だった。これ以上不毛なクイズを続けたくはない。
「なぁ葵、もうそれどうでもいいから、そろそろこっち向いてくんねぇ?」
ベッドでの時間を含め結局のところ、葵は正面を向いてくれてはいない。不意に出てきた冬耶の存在で興が削がれたが、キスぐらいはしておきたい。
「……七ちゃんは綾くんとしかしないって」
「そりゃそうだろうな」
「奈央さんは、特別に好きな人同士がするんだって言ってた」
恐る恐るこちらを見上げてきた葵は、京介が唇を近づけると身近な人物の話をし始める。葵なりに理解を深めるために尋ねたようだ。これも葵の成長に必要なことかもしれないが、今は邪魔な情報でしかない。
「俺が特別に思ってる。それで十分だろ」
「でも……」
「じゃあ、お前がしたいか、したくないかで決める。どっち?」
どんな答えが返ってくるか分かったうえで尋ねる。葵は一瞬泣きそうに顔を歪めたあと、消え入りそうな声で“したい”と口にした。だがそれを言い終える前に深く唇を塞ぐ。
昨夜のような余裕のないキスではなく、葵が適度に呼吸できる隙を作ってやりながら、唇を重ね、舌を絡め合わせていく。
「ん、ぁ……んぅ」
角度や深度を変えるたび、鼻に掛かったような甘い吐息が耳に届く。しがみついてくる華奢な指先から伝わる熱も、京介の不安や焦りを溶かしていく。葵が今ここに居て、京介だけが触れているのだと。
「今日はこれで我慢してやるけど、明後日覚えとけよ」
唇を離すなり、必死に新鮮な空気を取り込もうと深呼吸を繰り返す色気とは程遠い仕草すら好きで仕方ない。軽いキスと共に告げた宣言に、蜂蜜色の瞳を揺らすところも。
部屋が変わる前に、あと一歩この距離を縮めておきたい。誰かにいとも簡単に攫われてしまいそうな葵を手放すのは、不安でどうにかなりそうだ。特に葵を標的に定めた若葉の存在が、今の京介にとっては何よりの脅威だった。
そのまま葵を抱えて夜風に当たっていると、穏やかな寝息が聞こえ始めた。こちらは高ぶった体がまだ落ち着かないというのに、つくづく呑気なものだ。
寝室のベッドに戻り布団をしっかりと掛けてやると、それまでぴくりともしなかった都古が瞼を開いた。葵が寝ているのを確認してからこちらを睨みつけるなんて、タチが悪い。
「いつから起きてた?」
「……今」
表情のない顔からは、それが嘘かどうかも計り知れない。まるで京介から守るように葵を引き寄せるところも癪だ。
でもこんな風に葵を挟んで張り合う夜も、もうすぐ終わりを迎える。その先の自分たちがどうなるかなんて、ちっとも予想がつかない。
「おやすみ、葵」
当たり前だったこんな挨拶も、告げられなくなるのだろうか。京介は込み上げてくる感傷的な気持ちを誤魔化すように、少し乱れた葵の前髪を撫でてやった。
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