1220 / 1602

act.8月虹ワルツ<118>

* * * * * * 四日間の試験を締めくくる最後の科目。全ての問題を解き終えた葵は、今の時刻を確認するために一度顔を上げた。 教室の前方に掛かった時計は試験終了まで十分ほど残っていることを示している。余裕を持ってこなせたことが、葵の焦りを幾分か落ち着かせてくれた。 最初から問題を見直そう。そう思って机へと視線を戻そうとしたが、周囲の生徒がチラチラと廊下のほうを気にしていることに気が付いた。 扉に阻まれてわずかしか見えないけれど、ガラス部分から覗く姿は間違いなくこの学園のトップ、忍だった。試験中に生徒会長が現れれば、皆がざわつくのも無理はない。 忍は確か葵たちよりも一時間早く試験が終わると言っていた。一緒に昼食を取るために待っていてくれる約束ではいたが、わざわざ教室前までやってくるとは思わなかった。いつも直接食堂に集合しているはずなのに、どうしたのだろう。 忍の突然の来訪が気になって、結局葵は試験に集中することが出来なかった。 「会長さん」 チャイムが鳴るなり、葵は教室を飛び出した。そこに居たのはやはり忍。壁に背を凭れ立っているだけで絵になる彼は、葵の呼びかけに軽く手を上げて応える。その仕草もまた、大人びて見えた。 「お疲れ。最後まで頑張れたか?」 忍は葵の答えを待たず、労うように頭を撫でてくれる。忍のせいで集中出来なかったなんて口に出来るはずもない。葵が素直に頷くと、彼は満足そうに笑った。 「昼食の前に、少し付き合ってくれないか?」 「それは、もちろん大丈夫ですけど……」 ただ単に葵を迎えに来たわけではなく、そこには明確な理由があるらしい。忍からこんな風に呼び出されることなどなかったから、どうしても緊張してしまう。 「お前も着いてきて構わない。来るか?」 忍は追いかけてきた都古にも誘いを掛けた。これで生徒会の用事という可能性は消える。そうなるとますます見当がつかない。 甘えるように葵に覆い被さってきた都古を連れ、忍に手を引かれて行き着いた先は学生寮だった。わざわざこうして誘われずとも、試験後には帰るはずの場所。 それに最短距離を通らず、なぜか校舎裏から遠回りをするルートを辿った意味も、葵には分からなかった。 「あの、どうして……?」 到着したエントランスで耐え切れずに尋ねると、忍はようやく答えを教えてくれた。 「新しい部屋、見たくないか?」 試験が終わったら引っ越しをする。そう言い聞かされてから覚悟はしていたが、いざその時が訪れると躊躇いが生まれる。 京介と都古、二人と同じ部屋で過ごす時間が終わる。お別れをするわけではないと頭では理解していても、彼らの腕の中で眠れなくなることが辛くて、そして怖くもあった。 「葵?」 「……あ、はい。見たいです」 慌てて取り繕ったけれど、忍にはこの葛藤を見透かされていそうだった。眼鏡の奥の瞳が優しく薄められ、そしてまた髪を撫でてくれる。 忍は生徒会のフロアへの同伴も特別に許可してくれたけれど、都古はそれを断った。いつものように生徒会専用のエレベーター前で葵の帰りを待つのだという。その行動が、葵の寂しさをより一層煽った。

ともだちにシェアしよう!