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act.8月虹ワルツ<126>
* * * * * *
彼の姿を見るのは卒業式以来だったが、その横顔は少し前まで同じ制服を着ていたとは思えないほど大人びて見えた。
「北条が暇で助かったよ。おかげで葵ちゃんを驚かすことが出来た」
「たまたま試験が終わっていただけで、別に暇というわけではありません」
律儀に反論してみれば、忍の反応を見越していたのか、遥は楽しそうに笑ってこちらに向き直った。
遥はこのあと葵を自宅に連れて帰るつもりらしい。葵が支度を済ませて戻ってくるのをエントランスで待つ間、なぜかその横に付き添う役割を担わされている。
いくら卒業生とはいえ、今は好き勝手に構内を出入りできる立場ではない。だから生徒会長を同伴させておく。建前上はそんなことを言っていたが、忍に何か伝えておきたいことがあるのだろう。遥の悪戯の手助けをしたことへの礼だけではない、何か。
「冬耶から色々聞いたんだろ?葵ちゃんのこと」
遥の姿を見つけた複数の在校生が遠巻きにこちらを眺めてはいるが、会話が聞こえない程度の距離が保たれている。だから遥は特に躊躇いも見せずに本題を切り出してきた。
「変わらず可愛がってくれて安心した。迷ったりした?」
「いいえ。覚悟を決めるだけの猶予はありましたから」
遥は明言しないし、忍もはっきりと口にはしない。それでも彼が忍の名前に関することを言いたいのだと察する。
葵が忍を役職で呼び続けるのには何か理由があるはず。そう理解するのに十分な機会があった。それがクッションとなって、忍の衝撃を和らげてくれた。
「だから俺の申請を通すのに時間が必要だったんですか?」
葵の傍にいるために立候補した生徒会役員選挙。役員としての素質は兼ね備えている自信はあったが、申請書を受け取った冬耶はすぐには受理してくれなかった。
翌日には出馬の許可が下りたから、そのタイムラグに関して当時は気にしていなかったものの、今振り返ると意味のあるものに思えた。葵のトラウマを抉る名を持つ人間を傍に置くか否か。悩むのも無理はないと思う。
「まぁ、それもあるけど。どっちかっていうと、北条の素行のほうが心配だったかな。もう風紀は乱してないだろうな?」
「今は抱きたいと思う相手が葵一人しかいないので」
「随分真っ当な人間になっちゃって」
冬耶なら発狂しそうな煽り文句も、遥は笑顔で受け流す。どちらも厄介な先輩に違いないが、よりタチが悪いのは遥のほうかもしれない。
葵がどれほど遥に懐いているかは理解しているつもりだ。だから葵の笑顔のために遥の計画に協力した。以前遥からの贈り物を誤って開封してしまったお詫びの気持ちもあった。
だが今となっては少し後悔している。自分と遥の間には、まだ簡単には埋まらない差があるのだと思い知らされたからだ。
遥が居ない二ヶ月の間に葵とはそれなりに距離を縮められた気でいたが、離れていた時間を逆手にとって、葵の心を一身に惹きつけている印象を受けた。これも彼の計画の内なら、悔しいけれど為す術がない。
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