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act.8月虹ワルツ<129>

* * * * * * 学園から車で三十分ほどの距離に遥の父、譲二が経営する洋菓子店はある。スイーツの激戦区と呼ばれる繁華街。その二つ隣の駅が最寄りという一見微妙に思える立地にも関わらず、開店からじわじわと口コミが広がり、今では行列の絶えない人気店となっている。 今日も土曜日の昼下がりということもあって、併設するカフェまで満席状態のようだ。 「相変わらず人気だな。譲二さん、忙しいんじゃないか?」 「かもな。誰かに様子見てきてもらおうか」 直接驚いた顔がみたいという遥の悪趣味に付き合わせるのが申し訳なくて一応はブレーキを掛けてみたものの、遥は引く気がないらしい。 裏手にまわり、休憩中だったスタッフの一人を捕まえると、遥の名前を出さずに連れてこいなんて指示までし始めた。悪戯好きと言えば可愛らしいが、その被害を被ったばかりの冬耶としては、譲二に同情したくなる。 「ただいま」 少しの間を空けて休憩室に現れた譲二は、にこやかに手を振る息子の姿を見つけてまさに絶句という表現がぴったりの顔つきで固まってしまった。寡黙な彼は大袈裟に驚くような真似はしなかったが、十分遥を満足させただろう。 「……いつ帰ってきた」 「今朝到着の便で。びっくりした?」 「連絡ぐらい入れろ」 すぐにいつもの表情を取り繕い息子を叱る父親の体を取り戻すけれど、声音にはまだ動揺が滲んでいた。それに当の息子はちっとも反省せずに笑顔を崩さない。 「しばらく家にいるからよろしく。あと、今日は葵ちゃんも泊めるつもりだから」 遥の言葉でようやく譲二の視線がこちらに向けられた。 葵は名前を出されて咄嗟に頭を下げたけれど、冬耶は反応に困った。泊める対象として冬耶の名を出さなかったということは、遥はどこかのタイミングで冬耶を追い払うつもりのようだ。それをこんな形で知らせてくるなんて、本当にひどい友人である。 「片付いてる?」 「あぁ。……あ、いや、リビングが少し」 「もしかしてまたソファで寝た?」 息子相手にはどうにも立場が弱いらしい。遥の指摘に気まずそうに眉をひそめる姿は、店での厳格なイメージからは程遠い。それでも、彼らからはそんなやりとりを楽しむ雰囲気が感じられた。仲の良い親子であることには違いない。 それから二、三の会話を重ね、目的を果たした遥は葵の手を引いて店の外に向かい出す。その背を追おうとした冬耶を、譲二が呼び止めてきた。 「冬耶」 遥と親しくなってから、自然と家族ぐるみの付き合いになった。だからいつからか、譲二にはこうしてまるで息子のように名を呼ばれる。冬耶も彼を友人の父親ではなく、親戚のような気持ちで接するようになっていた。 「何かあったのか?理由があって帰ってきたんだろう。あいつはどうせ何も言わないから」 「あぁ、実はあーちゃんが心のバランス崩しちゃって。俺が遥に助けを求めちゃったんだ。ごめんね譲二さん。こんなに早く呼び戻しちゃって」 「……そうか」 譲二は葵の成長を見守ってくれている大人の一人だ。具体的な表現は避けながらも正直に打ち明ければ、彼は苦々しげに目を細めた。 「このあいだ店に来た時、傷跡が見えた」 そう言って譲二が指さしたのは己の手首。以前葵がここを訪れたのは聖と爽の誕生日会をやった日のこと。歓迎会で負った深い傷が治りかけている期間だったはず。彼はそれを見咎めつつも、何も聞かずに気に掛けてくれていたようだ。 「あんなので役に立つなら、いくらでもコキ使ってくれ」 あの傷がついた経緯を説明すれば長くなる。なんと話そうか悩むうちに、譲二は仕事場に戻ってしまった。彼は葵を可愛がってはくれるが、決して踏み込みすぎない距離を保っている。元々の性格もあるだろうが、冬耶には一つ思い当たる理由があった。

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