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act.8月虹ワルツ<131>

「おや、奇遇ですね」 「グルメ記事の担当にでも鞍替えしたんですか?」 「うちの読者には女性も多いから、人気洋菓子店の紹介記事ってのも需要があるかもしれないな」 冬耶の嫌味にも平気で下卑た笑顔を返してくる。この根岸という記者の神経の太さには怒りを通り越して呆れさせられる。 「登下校がない全寮制ってのは思ったより厄介だな。こうして出掛けてくれなきゃ可愛い“アイちゃん”を拝むことも出来ない」 挑発に乗ったら負けだと頭では分かっていても、馨の作り上げた人形としての名をわざと呼んでくる根岸に頬がピクリと痙攣する。 「取材についてははっきりと断ったはずです」 「本人が断ったわけじゃない。母親の死の真相ってのを、俺が解き明かしてやるって言ってるんだ。あの子にとっちゃ悪い話じゃないだろう。案外、喜んで話してくれるかもしれない」 根岸は以前と同じく、エレナの死に裏があると決めつけたような物言いをする。 「誰かが殺めたと考えているんですか?」 根岸はエレナが自ら死を選ぶような性格ではないと言った。それなら彼の思う真相とは何か。残る可能性を考えれば、自然とその結論に至っていた。 だが、根岸は冬耶の問いに答えることなく、話題を葵に戻してくる。 「なぁ、あの子は“藤沢”を名乗ってるよな?あんたんとこと藤沢の家でどういう話になってるんだ?俺はてっきり、藤沢がアメリカにいる間って約束で預かっているんだと思ってたが、帰国からもう三ヶ月以上経つ」 根岸が自分の推測に疑問を持つには十分すぎる時間だっただろう。 正直なところ、冬耶ですら当時陽平と柾の間で行われた交渉の全てを知っているわけではない。葵を西名の姓にしてやれなかったことを陽平はずっと悔やんでいるようだったが、交渉が長引けば限界に近付いていた葵の命が先に尽きてしまいかねない。 だから一日でも早く葵を引き取ることを優先させたと言っていた。陽平にとって不本意な条件を飲んだのだとは思う。 ただそんな話は目の前の男には全くもって関係のないこと。話してやる謂れはない。 「先週の月曜、だな。藤沢が桐宮を訪ねて、そこからあの子は一週間も学校を休んだ。心療内科の医者がわざわざ自宅に行ったことも知ってる。あの子にとって父親はそれほど精神的なショックを与える存在ってことか?」 冬耶が根岸の疑問を跳ね除ける前に、彼は胸ポケットに忍ばせていたメモ帳を取り出し、先週の出来事を振り返り始めた。ある程度覚悟はしていたが、葵や馨の動向をよく調べ上げている。訪問客である宮岡の素性まで暴いていた。 さすがに一ノ瀬が起こした事件にまでは気が付いていないようだったが、それゆえに葵の欠席の理由が馨にあると結びつけているらしい。一ノ瀬の件を暴かれるよりは都合がいい。とはいえ、エレナの死に纏わる話だけでなく、馨との関係まで興味を持たれて深掘りされるのも面倒だ。

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